外形上は、移民受け入れに舵を切ったといってもよいだろう。むろん、政府はけっして「移民」という言葉を使わない。経済界の要請に従い、しぶしぶ「安価な労働力」の受け入れを拡大させただけであり、そこには外国人を社会の構成員として迎え入れるという発想はない。人手不足に対応するための場当たり的な政策だ。
しかし政府の思惑が何であれ、少子化と急激な高齢化が進行する以上、好むと好まざるとにかかわらず移民は増え続ける。その際、文字通りの受け皿として機能するのは団地であろう。そう、団地という存在こそが移民のゲートウェイ(入口)となる。
移民国家化を避けられない日本
私はそこに、団地の高齢化問題を解決するひとつの解答が示されているようにも思うのだ。互いに孤立する高齢者と外国人に、「かけはし」をつないだ芝園団地の取り組み。摩擦や衝突のその先には、共生に向けた様々な取り組みが見えてくる。
日本社会は移民国家化を避けることができない。いや、すでに日本は事実上の移民国家だ。外国籍住民の人口は、いまや250万人に迫る。これは名古屋市の人口を上回り、もはや京都府全体の人口に近い。たそがれていた団地にとって、この存在は救世主となる可能性もある。いつの時代であっても、地域に変化をもたらすのは「よそ者」と「若者」だ。
限界集落に新しい住民が増えることで、新しい時間が訪れる。風景も変わる。人々の意識も変わっていく。芝園団地だけではなく、各地の団地でニューカマーの外国人が自治会役員に就任するケースも増えてきた。
このように、団地は多文化共生の最前線である。移民国家に向けた壮大な社会実験の場でもある。住まいは生き物なのだ。器は古くとも、注がれる水が新鮮であれば、そこに新たな暮らしが生まれる。日本の限界集落化した団地を救うのは、外国人の存在かもしれない。(終わり)