19MLB、オークランド・アスレチックス対シアトル・マリナーズ。8回裏に交代となり、フィールドを後にするシアトル・マリナーズのイチロー(2019年3月21日撮影
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それでもイチローの趣旨は一部の記者を除いて多くの日本人メディアには残念ながら理解してもらえず反発も招いた。当時、周囲から「なぜ、あんなに偉そうなんだ」「いったい何様のつもりなのか」などといったイチローへの陰口をよく耳にした。だが、それを口にするのはほぼ決まってイチローと昵懇の関係にはなく、囲み取材でもまともに質問すらしたことのない記者たちであった。そんな状況に絶望したからであろう。結局、メジャー移籍後のイチローはいつしかクラブハウスで取材する記者を厳選するようになっていた。
大勢の日本人記者に自分が囲まれればクラブハウスのスペースがなくなって他の選手に迷惑をかけてしまう。そういう配慮もイチローの気持ちの中にあったのは間違いないだろう。ただ、どちらかと言えば、自分のことを真剣な姿勢で取材したいと思ってくれている記者を選択し、同じ志のある人たちと今後の大事な時間を共有していきたいという思いのほうが強かったようだ。
このようにレジェンドが連日にわたって取材現場でぴりぴりとした雰囲気を作り出せば、メディアも当然磨かれていく。初期の頃は質問してもまともに答えてもらえなかったものの、厳しい現場の環境にもまれながら数年の時を経てようやくイチローに認められた番記者も複数いたという。
松井には松井の、イチローにはイチローのプロ精神
こうした流れを顧みると、イチローが元ニューヨーク・ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏とは対照的だったとあらためて感じさせられる。メジャーでの現役時代、松井氏は好不調に関係なく試合後は必ず囲み取材に応じることをポリシーとしていた。無論、イチローのように記者を厳選するようなことはせず“記者の向こう側にファンがいる”という考えのもとウェルカムの姿勢を貫いた。ルーキーイヤーだった2003年のシーズン終了後、全米野球記者協会のニューヨーク支部会から「毎日、日本語と英語でメディア対応してくれた」として取材に最も協力的だった選手に与えられる「グッドガイ賞」を松井氏が受賞したことも、それを物語っていると言える。
だが今あらためて言えるのは、イチローにもイチローなりの明確な取材対応のスタンスがあったということだ。あのひりつくような取材環境を作り上げたのは、決して単なるメディア嫌いだったという陳腐な理由ではない。質問すら向けない“棒立ち記者”や、時に的外れなことを聞こうとするメディアに一石を投じようと、あえて「グッドガイ」にはならず鬼になっていたところもあったのだ。
3月21日の深夜から始まった引退会見でイチローはオープンな姿勢を見せながら、あらゆる媒体からの質問を珍しく受け続けていた。時々「おや?」と思えるような、つまらない質問を浴びせられると容赦なくばっさり切り落としていたところに最後の最後まで“らしさ”を感じ取った。自らを律するだけでなく、取材する側にも厳しさを追い求める。これだけの妥協なきプロフェッショナルは、おそらくもう二度と現れないだろう。