未だにレジェンドの話題は尽きることがない。マリナーズのイチロー外野手が母国・日本の東京ドームで行われたオークランド・アスレチックス戦を最後に引退表明し、4日でちょうど2週間。しかしながら米国での引退セレモニーが行われるのか否か、あるいはどのような第2の人生を送るのかについて、各メディアや有識者の間で議論されるなど現役時代と遜色ないほど連日にわたって話題に取り上げられており、現在も相変わらず注目の的だ。
その去就は今もって不透明だが、1つだけ確かな点は長年にわたってメディアに追い掛け回された日常からようやく解放されて平穏な日々を送れるようになることだろう。思えば、これまでわれわれメディアとイチローの関係は極めて歪(いびつ)だった。こういう表現を使うと誤解を招くかもしれないが、実際にイチロー取材の現場は常に緊迫感が漂っていた。理由は単純明快だ。イチロー自身が取材陣側にバリアを張っていたからである。
記者を厳選したイチロー
2001年から2012年までの第1次マリナーズ時代。絶頂期の頃、イチローは特に日本人メディアに対して暗に“プロフェッショナルな姿勢”を求め続けていた。自らもグラウンドに命を懸けるぐらいの気持ちで試合へと臨んでいる。取材陣のあなた方も同じような心構えで仕事をして欲しい――。だからこそマリナーズ移籍当初、試合後の囲み取材でイチローは妥協なきスタンスでメディアと“対峙”していた。
メジャーリーグは日本のプロ野球と違い、定められた時間の範囲内であれば試合前後のクラブハウス取材が認められている。メジャー移籍初期の頃は試合終了後にシャワーを浴び、腰にタオルを巻きながらロッカールームの前に座ってベビーパウダーを体全体に塗って扇子をパタパタと仰いでから「はい、どうぞ」と口にするのが集まったメディアに対するイチローの取材開始の合図だった。そしてロッカールーム前にずらりと並んだ日本人メディアに対し、イチローはイスに座りながら視線も合わさず背を向けていることが多かった。
「う~ん、次どうぞ」
質問を向けても大半の記者がイチローから、こう言われて“撃沈”を余儀なくされていた。何も考えていないようなレベルの低い質問にわざわざ答える必要はない。こっちだって真剣にやっているのだから、もし答えて欲しいのであれば熟考した末に中身の濃い質問を準備してきて欲しい――。そういう考えを抱きながらイチローはわれわれメディアに対してもあえて厳しい姿勢を打ち出していたのだ。だから囲み取材でロクに質問もせず、ただ突っ立っているだけのような記者など論外だった。