「警察官」とは一体どのような職業なのか知っているだろうか? 北海道から上京し、一介の巡査から捜査1課長まで務め上げた元・刑事が、外側からは分からない警察官の実像を明かす。30万人を擁する巨大組織のなかで蓄積された、41年間のノウハウと心構えとは!?(JBpress)
(※)本稿は『警察官という生き方』(久保正行著、イースト・プレス)の一部を抜粋・再編集したものです。
「警官」ではなく「警察官」と呼ばれたいわけ
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私は地元の北海道を出て、1967年に警視庁に入庁して以来、捜査第一課を中心に警察官として41年務めました。警察という組織は、努力すれば誰でも階級を上げていける(出世できる)、公平な人事制度が敷かれています。私も交番勤務の一介の巡査から始まり、のちに警視庁捜査第1課長や第7方面本部長の職を務めました。
警察の階級を図に示します。図によれば、警視庁での「課長」や「方面本部長」の階級は「警視正」であるということです。
「警察官」は「警官」と略して呼ばれることがありますが、当の警察官たちはこの略称を嫌います。というのも、警察の「警」には「いましめる」という意味が、「察」には「人の心を察する」という意味が込められています。「察」が抜けてしまえば、高圧的にいましめるだけの存在ということになってしまうからです。
実際のところ、警察官は「人の心」を汲み取る力がなければ、仕事になりません。たとえば交番勤務には、職務質問という重要な仕事があります。街にいる人のほとんどは善良な市民ですが、なかには罪を犯して逃げている者、今にも事件を起こそうとしている者が、現実にいます。それをただボーっと眺めているだけでは、何の検挙にもつながりませんし、犯罪の抑止に役立つこともありません。
私が新米警察官だったころ、職務質問をしようとした瞬間に逃亡した男がいました。その男を追いかけて押さえたところ、強盗犯だったことがあります。ですから、相手に嫌がられても、わずらわしく感じられても職務質問は欠かせません。ただ、「察」なしで高圧的に出てしまっては、守るべき対象である市民から反感を買うだけでしょう。
聞き込みは雨の日に?
これは、刑事になってからの聞き込み捜査でもそうでした。事件現場周囲の住民に話しを聞いて回る「地取り」と呼ばれる捜査は、ドラマのようにすんなりとはいきません。住民にしてみれば、聞き込み捜査によって自身の日常生活が中断されるわけです。無愛想な刑事がやって来て「話を聞かせてくれ」と言われても、喜んで対応する人は少ないでしょう。