ソ連は確かに巨大なものが好きであり、ムダにひたすら大きいものもある。そのため、巨大マニアと揶揄されることもある。
しかし、航空機に関しては、大きければ大きいほど設計に高い技術を要する。超大型機設計は確かな技術力の証拠である。大きいものが好きなだけでは航空機の大型化は達成できないのだ。
航空機を持ち上げる力は主翼の面積に比例するが、持ち上げなければならない重量は機体構造材の体積に比例する。面積は寸法の2乗で増えるが体積は3乗で増えるため、大きくなればなるほどその差を克服する技術が必要になる。
An-124の機体を見ると、旧ソ連製の機体には珍しく、炭素繊維複合材が多用されている。こうした当時の新技術の積極活用は、大型機を成り立たせるための対応の跡である。
An-124が運用され始めた後、ソ連版スペースシャトル「ブラン」計画が始まり、ブランや打ち上げ用ロケットを輸送する必要が生じた。ちょうど、米国がスペースシャトルをジャンボジェットの背中に乗っけたように、ソ連もブランの空輸を考えた。
そこで、An-124を改造して大型化したAn-225が開発された。胴体を延長し、主翼を大型化し、エンジンを4基から6基に増やした。最大離陸重量はAn-124では394トンであったが、An-225では600トンに達した。
An-124での最大貨物量は150トン程度であるが、An-225では250トンを超える。実際247トンの貨物を輸送した実績もある。
An-225はAn-124を抜いて世界最大の航空機となった。そして、A-380やスケールドコンポジット社のロケット発射母機など、An-124より大型の航空機が開発された現在でも、An-225は世界最大の航空機であり続けている。