(児美川 孝一郎:教育学者、法政大学キャリアデザイン学部教授)
前回の記事(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55300)では、近年の大学において取り組まれつつある「教学IR」の最大の強みが、大学教育のプロセスと結果を「見える化」(数値化)することにより、従来はカンやコツといった経験則に頼ってきた感もある教育改善に関わる施策を、根拠(エビデンス)に基づいて進めることが可能となる点にあることを見た。
ただし、そうした教学IRを積極的に推進するためには、さまざま条件整備や学内合意の形成が必須となることについても、併せて指摘しておいた。
IRは大学改革の切り札になるのか
では、そうした条件整備や学内の合意形成さえ整えば、あとはIRに任せておけば、大学教育の改革は盤石に進むのだろうか。
改革に弾みを付け、教育改善の施策が大いに進んでいくという側面も当然あるだろうが、残念ながら、そうした側面だけではあるまい。
教学IRは、あくまで教育改善のためのツールである。ツールである以上、当たり前のことではあるが、それには強みもあれば弱点もある。強みだけに目をとらわれて、弱点には目を向けずに教育改善の施策を展開してしまうと、結果として、思ってもみなかったような「副作用」に襲われたり、「予期せぬ結果」の後始末に追われたりするといったことも十分に起こりうるのである。
以前の記事で指摘したように、現在は、文科省の高等教育政策が、財政誘導を含めて「前のめり」になって、大学におけるIRの推進を図ろうとしている時期である。そうであればこそ余計に、大学側としては、IRの強みだけではなく、弱点(限界)についても十分に自覚したうえで、その活用を模索していくべきであろう。
今回の記事では、こうした意味でのIRの留意点について論じてみたい。