優秀なひとりだけが活躍することが最適とは限らない。

(篠原 信:農業研究者)

 40万人以上が受験する全国模試で10本の指に入るような成績を誇った旧帝大生が、ある避難所でボランティアを始めた。毎日大量に届く救援物資を仕分けし、種類と数量を完全に把握し、被災者に配る量を即座に計算し、不足が予想される物資を他のボランティアに告げ、補給を指示した。その正確無比な活躍を見て、いつしか「歩くコンピューター」とあだ名されるようになった。しかし激務がたたって、10日ほどでぶっ倒れてしまった。

 次に物資担当を引き受けたのは、同じ年齢だけれども、若くして建設業を継いだという、高卒の若者。「とても前任者のマネはできません。僕なりのやり方に変えさせてもらっていいですか?」。もちろん、「歩くコンピューター」のマネができる人間なんかいないので、誰も異を唱えなかった。

 その若者は物資を種類ごとの「島」に分けた。インスタントラーメンの島、ミネラルウォーターの島、使い捨てカイロの島。その島が低ければ「あ、調達しなきゃ」というのが一目瞭然。物資の仕分けも簡単で、それぞれの「島」に積めばよいだけ。物資の種類も量も、ザックリとだが誰の目にも分かりやすくなった。

「歩くコンピューター」が健康を回復し、再び救援物資の管理をしようとしたら、その必要もなくなっていた。皆が誰の指示も仰ぐことなく、自主的に仕分けし、不足する物資を調達してくるようになっていたからだ。

ひとりが輝くか、全体を活性化させるか

 思えば、このときの経験が「『指示待ち人間』はなぜ生まれてしまうのか?」を考えるきっかけだったのかもしれない。

「歩くコンピューター」は、間違いなく優秀だった。膨大な救援物資の種類と数量を完全に把握するなんていう並外れた能力は、他の人にマネのできるものではなかった。特に震災初期には常駐ボランティアが3名しかおらず、一人ひとりが大量の仕事を抱え込まざるを得なかったので、彼の活躍は大変ありがたかった。被災者の誰もが、問答無用に信頼するボランティアのひとりだったのも頷ける。