2018年11月28日、ヒトゲノム編集国際サミットに登壇した賀建奎副教授(写真:AP/アフロ)

(ジャーナリスト・近藤大介) 

 1935年10月、「長征」の途中で六盤山(現在の寧夏回族自治区にある海抜3500mの高山)を通った際、疲弊した共産党軍に毛沢東が発破をかけた。「万里の長城に到達しなければ立派な男ではない!」(不到長城非好漢)。毛沢東が北京の天安門の楼上に立ち、中華人民共和国の建国を宣言したのは、それから14年後のことだった。

 新中国の建国以来、幾多の中国青年たちが、「我も万里の長城に立つ男にならん」と夢見てきた。特に、毛沢東と同じ湖南省出身者に、その傾向が強い。

 毛沢東が建国を宣言してから69年後の2018年11月26日、やはり湖南省出身の34歳の青年物理学者・賀建奎(Hu Jiankui)が、「万里の長城に到達した」。人類史上初めて、人工的にゲノムを編集して、2人の女児を誕生させたのである。たちまち世界中に、このニュースが伝わり、「人類はついに禁断の第一線を越えた」などと報じられた。

ニックネームは「湖南のアインシュタイン」

 賀建奎は、湖南省の省都・長沙の南西郊外にある娄底市新化の貧困農家家庭に生まれた。新化は、湖南省で最大規模の指定貧困地域である。賀は幼少期から神童の呼び声高く、ニックネームは「湖南のアインシュタイン」。新化高校卒業後、貧困地域の希望を一身に背負って1500㎞も北上し、上京。2002年に、北京の中国科学院傘下の中国科学技術大学物理学部に入学した。

 2006年に大学卒業後、奨学金を得て米ライス大学に留学。本人の述懐によれば、「物理学の時代は終わり、21世紀は生物学の時代と思い知った」。アメリカ留学時代に、ゲノム配列の研究に専門を変えた。こうして2010年に、ライス大学で生物物理学の博士号を取得し、さらにスタンフォード大学でゲノム配列の研究を続けた。

 スタンフォード大学での指導教官であるステファン・クエイク教授のことを、賀はこう評している。「普段はジーンズを履いてキャンパスを歩いているが、世界のゲノム研究の第一人者で、かつ3つの上場企業の株主として億万長者になった憧れの教授だった」。そんなクエイク教授のようになりたいと、賀は母国への帰国を決意する。