事件が起きた一帯は後にトレッキング隊のリーダー、イーゴリ・ディアトロフの名をとってディアトロフ峠と呼ばれるようになった。事件発生から半世紀以上たった今も真相は闇の中だ。ロシアではこの事件に関する書籍が無数に出版されており、雪崩や吹雪、何者かによる攻撃、放射線廃棄物原因説から、UFOや宇宙人に至るまで、さまざまな説が唱えられてきた。近年は国家機密のミサイル発射実験(冷戦下のウラル山脈ではたびたび行われていた)を目撃したせいで殺された、などという説も登場し、ネットを賑わせているという。

貯金を使い果たすほど事件にのめり込む

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 この遭難怪死事件にアメリカ人のドキュメンタリー映画作家が挑んだ。『死に山 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』は、幼い息子と妻を残し、二度にわたるロシアでの長期取材を敢行、貯金もすべて使い果たすほど事件のめりこんだあげく、その真相を突き止めた男の執念の記録である。

 著者はある映画のための調査をしている中で、たまたまこの事件を知り、新しい情報がないかとネットサーフィンを繰り返すうちに、ネットで読める資料はあらかた漁り尽くしてしまう。気がつけば事件に完全にのめりこみ、もっと詳しいことを知らずにはいられなくなっていた。

 本書の巻頭には、ディアトロフらメンバーの写真が生没年とともに掲載されているのだが、この中にひとりだけ、没年が1959年ではなく、2013年になっている人物がいる。実はグループには唯一の生存者がいたのだ。その人物の名は、ユーリ・ユーディン。彼はグループの10人目のメンバーだったが、体調を崩して途中で引き返し命拾いしていた。

 ユーディンの存在を知ったことで、著者の探索魂に火がつく。そして当時存命だったユーディンの行方を探す過程で、エカテリンブルクにあるディアトロフ財団の存在を知る。財団は事件の記憶を風化させないことと、悲劇の真相を明らかにするための活動を行なっていた。