また、40キロにわたる建設現場を常に把握するのも容易ではなく、笠原さんは1週間かけて現場を歩いて回り最新状況を把握することを繰り返したという。
5年半にわたる奮闘を経て第四工区が完工し、全線160キロが開通したのは2015年3月のこと。着工から20年が経過していた。
ヤンゴン・タケタ橋の建設中に杭を打ち込めなくなった時に現場に毎日足を運び、施工業者の話に耳を傾けることを心がけた「笠原流」の監理術は、閉ざされた空間で相手と本気でぶつかり合いながらも、共通の目標に向かい共に時間を過ごしたネパールの山中で培われたものと言える。
冷静と情熱併せ持ったエンジニア
ミャンマーで3年にわたりタケタ橋の建設を率いてきた笠原さんだが、竣工まで4カ月を切った3月上旬、これまで日本本社から調整を行っていた総括に現地を託してヤンゴンを離れた。
想定外の事態に苦しみながらも常に現場を愛し、「調査や設計段階は20数人の専門家が集まって1つの絵を描くが、建設現場にはコンサルタントは自分しかいない」「地図に残る仕事を率いていることを実感する」と施工監理の醍醐味を熱く語るエンジニアにとって、竣工に立ち会えないのはさぞ無念に違いない――。
そんな筆者に「完成までいられればラッキーですが、自分は歯車の1つなので」と語った笠原さんの口調は、意外なほど淡々としていた。
「思い入れが過ぎると、日々の判断、特にネガティブな判断を下すのが遅れる。マネジメントはむしろ一歩引く意識が必要です」
抑えた口調の中に、現場への情熱と冷静さを併せ持つエンジニアの、揺るがない矜持を見た。