全長160キロを4つの区間に分けて進められた一大建設事業の第四工区の施工監理として2010年に現場に降り立った時、笠原さんは弱冠34歳だった。

 1000メートル以上の高低差がある山脈越えや急峻な地形、脆弱な地質、川沿いの岩盤急傾斜地といった地理的な難条件が重なる山中での作業は、困難の連続だった。

 集中豪雨によって至る所で地滑りや洪水が発生し、施工箇所が損壊したり、道路が不通になったりする事態がしばしば発生。

 さらに、毛沢東主義派の武装反乱勢力(マオイスト)の活動も激化したため、治安悪化や政局不安が原因で工事はたびたび妨害された。

 不確定要素が大きく計画通りに進まないことの方が多い現場で皆が苛立ちと焦りを募らせるなか、笠原さんは連日、関係者たちと息詰まる攻防を続けた。

 いくら環境が厳しくとも、時には自分の親ほど年の離れた施工業者たちに対して嫌なことも言わなければならないのが、現場を預かる施工監理者の役割だ。

 激しい怒鳴り合いになることもしばしばだった。周囲はうかつに出歩くと豹に襲われかねない山の中。頭を冷やしに宿舎を飛び出しジョギングすることも許されない。

 どんなにお互い顔も見たくないと思っていても、時間になれば食堂で夕食を一緒に取らざるを得なかった。