海外から「新たな」観光需要が「追加的に」発生するというのなら、そういう前提を置いても構わない。だが実際のところ、IRを訪れる客の8割以上は「日本人」になるとシティグループは2013年8月のレポートで予想している。参考に、東京ディニーリゾートの2016年度の外国人来園者比率は、近年増加傾向にあるとはいえ、わずか8.5%に留まる。

 IRができても、実際には、国内ですでに発生している日本人の消費の奪い合いが大半になるということだ。財布の中身は限られているので、IRでのレジャーに回すか、これまで通り外食や教育、既存のレジャー等々に回すのか、家計は選択を迫られることになる。これで経済全体としての消費が増えるのかは極めて不透明だ。

 第2に、IR利用客の約2割といわれる外国人観光客も、全て新規の顧客だとは限らない。数億円単位の観光需要が、すべて新規で発生するとは考えづらい。実際には、今ある観光地とカジノ・リゾートとの間で観光客の争奪戦も起きることが予想される。

 外国人は約2割、追加される付加価値は6割。これら2点だけを考慮しても、1カ所で6000億円という試算額は約1割、なんと12%にしぼむ(0.2×0.6=0.12)。

 経済活動が行われた際に、その犠牲になっている部分は何か。トレードオフ、すなわち代替関係に着目することは経済学では基本中の基本だ。それにもかかわらず、なぜ彼らはこのような、あえて「部分」に着目して「全体」を無視するかのような試算を公表するのだろうか。

1920年代の理論に基づくシンクタンクのレポート

 この試算の最大の問題は、実は他にある。すなわち、お金を入れれば入れただけ、生産高も無尽蔵に増えるような想定がされていることだ。

 経団連、大和総研などのレポートでは「産業連関分析」という手法が使われている。これは公共事業などの効果を測る手法として、地方自治体や国交省などの報告書ではよく見られるものだ。

「産業連関分析」ではある重大な前提が置かれている。先ほど触れた「お金を入れた分だけ生産量も同様に増やせる」という仮定、経済学の言葉で言うならば「収穫一定」とも言える仮定だ。