――文字通り、利益と公益の循環をさせていったと。
石井 まさに彼が掲げた「道徳経済合一」の本質です。そう捉えると、600もの社会事業に尽力した真意が見えてくるのではないでしょうか。
財を成したから社会事業をしようという趣旨とは違います。日本の経済、社会を成長させる手段として行っていたのでしょう。平和や協調も当然願っていたでしょうが、その先にある企業の成長、さらには国の成長をも考えていたのです。
――本当に合理的な考えの持ち主だったんですね。
石井 ただし、彼の考える道徳経済合一も成長も、すべては「日本のため」だったのがポイントです。確かに考え方は合理的ですが、私利のためではなく、常に公益を追求していました。でなければ、亡くなる直前までこれほどの社会貢献事業はできなかったはずです。この姿勢は、現代の私たちが参考にすべきものではないでしょうか。
以前にも言いましたが、日本は今“失われた20年”を経て、もう一度すべてをゼロから作る時代になっています。その中で、道徳経済合一を筆頭に、渋沢の思想や考え方から学ぶべきものは数多くあるはずです。だからこそ、渋沢の見ていた景色、その姿勢を、今こそ再確認すべきだと思うのです。
――先生のお話を聞いて、渋沢栄一の道徳経済合一は、経営者の基本姿勢だと感じました。人々の公益となるものにこそニーズがあり、それは利益を生む。ですから、どちらが先ではなく、一緒のものと考えるべきなのかもしれません。それをこれだけ広範囲にできたのは、本当に人々の生活に寄り添っていたからでしょう。
渋沢の死後、日本は激動の時代に入りますが、もし彼が生きていたら何をしていたのか。そういったことも知りたくなりました。もしかすれば、違う時代になっていたかもしれませんね。