前回の記事では、各大学に作成と公表が求められている三つのポリシーについて、策定する側の若干のウラ事情を含めて解説した。あわせて、近年では、三つのポリシーが、文部科学省による大学教育改革推進のツール、もう少し明快に書いてしまえば、各大学の改革への取り組みをコントロールする手段になりはじめているという点についても示唆しておいた。
なぜ、そんなことになったのか。今回は、この点を論じてみたい。
三つのポリシーの登場――説明責任を果たすための指標
そもそも文科省の高等教育政策において、「アドミッション・ポリシー」「ディプロマ・ポリシー」および「カリキュラム・ポリシー」という用語が初めて登場したのは、2005年の中央教育審議会答申「我が国の高等教育の将来像」においてである。その後、2008年の中教審答申「学士課程教育の構築に向けて」では、あらためて三つのポリシーを明確に示すことの重要性が強調されている。
この時期、日本の大学は、進学率の上昇によってユニバーサル化段階を迎えていた。以前の記事にも書いたように、従来であれば大学には進学してこなかっただろう層を含めて、多様な入学者を受け入れることになった大学教育は、学生教育上のさまざまな困難や問題を抱えるようにもなっていた。
初年次教育学会が発足したのは、2008年のことであり、文科省の補助金事業である「現代的教育ニーズ取組支援プログラム」に「実践的総合キャリア教育の推進」というテーマが掲げられたのは、2007年のことである。こうして、大学教育の「入口」と「出口」のテコ入れを図りながら、大学教育本体の「質保証」へと政策的関心が向かうことは、ある意味で自然な流れでもあった。
三つのポリシーは、こうした意味での「質保証」政策の一貫として登場し、各大学に作成が求められたと見てよい。