東芝の社長、会長を歴任した西田厚聡氏が2017年12月8日、死去した。73歳という若さだった。異色の経歴で東芝のトップまで駆け上がったが、晩年は、会計不祥事の責任問題が発覚し、無念の日々を送っていた。
西田氏は、風雲児でもあり、東芝という名門で保守的な大企業から見れば、異次元から来たようなスケールの大きな経営者の人生は波乱万丈だった。
最後に会ってから少し経ってしまった。
銀座でお昼を一緒したとき、西田氏は予想よりも元気だった。
スイカで電車に乗る生活
「朝は頭も体も元気だから、ドイツ語の専門書を読む。午後は英語の本。だんだん疲れてくると日本語の本に変えるんだ」
その日も、ほとんどの時間、最近読んだ本の話をした。不祥事の話を聞いても、嫌な顔ひとつせず、淡々と、説明してくれた。
食事を終えて、「どちらへ行くのですか?」と聞くと、「品川の歯医者さんにね・・・。有楽町駅かな」
駅まで送りながら、「運転手さん付きの車のない生活に慣れました?」と聞くと、笑いながら「それがねぇ。これは全く慣れないんだよね。スイカ? これを使うのもね・・・」
有楽町駅の改札を入って、ホームを探す後姿が、とても小さくて元気がなく、胸がつぶれる思いで見送ったのが最後になってしまった。
初めて会ったのはもう30年近く前だが、本格的に会い始めたのは、1992年に筆者が米国駐在になってからだ。
ある日、会社に電話がかかってきた。
「東芝のニシムロといいます。覚えていますか? 米国駐在になったので一度、会いませんか?」
東芝アメリカの副会長兼東芝取締役としてカリフォルニア州アーバインに赴任してきた。その後、東芝の社長、会長になる西室泰三氏だった。会いに行くと「パソコン事業会社の社長の西田さんも知ってるでしょ?」ということで3人で夕食に出かけた。