彼女もCAを辞めて日本へ留学したいと考えていることなど、いろいろなことを僕に話してくれたが、もともと僕に連絡をしてきたのは相談事があったかららしい。彼女は当時、友達と大連で日本語学校を立ち上げようとしていたそうで、そのときに必要な日本語の先生を探していたらしい。それで日本語の先生をしている僕に白羽の矢が立ったのだ。

 世間というのはとても狭いもので、彼女の代わりに僕に電話をかけてきたあの女性というのが、僕が最初に就職していた日本語学校で僕の授業を受けていたらしい。下手くそな中国語で身振り手振りで日本語を教えるスタイルが面白いという話が、その女性を通じて彼女の耳にも入っていたらしい。

 つまりCAさんからのお誘いというは、何のことはない、給料を1500元しかくれない張さん(仮名)と同じく日本語学校設立の相談だったのである。日本語の先生を始めてからわずか1年程度の僕は、日本語学校設立のスカウトに2度もあったことになる。

 こうして現在の奥さんとのつきあいは、日本語が縁で始まった。

 彼女との日本語学校設立という話は、僕が既に張さん(仮名)と日本語学校を立ち上げていることと、現在のところ大連まで行くつもりは無いというので立ち消えになったが、僕と彼女のお付き合いは、その後も続くことになった。

 しばらくお友達としてのお付き合いが続いたが、健全なグループ交際なども経て、最終的には正式に恋愛関係のお付き合いとなった。中国の女性との恋愛というのも初めてだったし、だからといって日本の女性との恋愛経験もそれほど豊富でなかった僕なので、日本人と中国人であったとしてもそれほどのギャップもなく付き合うことができた。

 彼女が割とせっかちな性格なのに対して、僕は生来から鈍感なのんびり屋であったので、たまに喧嘩したとしてもそれほど深刻なことになることは少なかった。喧嘩するときは彼女は中国語で僕は日本語になるのだが、当時はお互いに表面的な言葉しか理解できなかったこともあり、決定的に傷つけるようなことにならなかった。それは今にして思えば良かった気もするし、この関係は今も続いていたりする。

(続く)