日本語学校で月給1500元という、当時の中国の人でもかなり底辺な部類に入る生活をしていた僕だったが、すごいことに既に結婚していた。今回は、至極個人的な話になるが、その後の起業の際に背中を押してくれたのは妻なので、そのなれそめから触れておきたいと思う。しばしお付き合いを願いたい。