これまで日本人は勤勉だと言われ続けてきた。いま問題になっている「働き過ぎ」はその副作用ともいえる。

 しかし、そもそも日本人は本当に勤勉なのだろうか?

 まず一般労働者(正社員)の年間総労働時間を見ると、2030時間(厚生労働省「毎月勤労統計調査」2012年)で主要国のなかでは突出して長い。しかも手当が支払われない「サービス残業」もかなり存在することが知られている。また有給休暇の取得率は47.6%(厚生労働省「就労条件総合調査」2015年)と半分も取得されない状態が続いている。

 これらの数字を見るかぎり、日本人の勤勉さは依然として健在だといえそうだ。

 しかし、他方にはそれと逆のデータもある。

 従業員の「エンゲージメント」(仕事に対する積極的な関わり方を意味し、「熱意」と訳されることが多い)に関する国際比較を見ると、複数の調査ではいずれも日本人の低さが際だっている。たとえばアメリカの人材コンサルタント会社、ケネクサが2012年に正社員を対象に行った調査によると、日本人のエンゲージメントは28カ国の中で最低である。

 一見すると勤勉そうだが、仕事に対する熱意は低い。すなわち安定しているが受け身で消極的な日本人の働き方がそこから読み取れる。

努力の「質」が問われる時代に

 このような働き方は、工業社会には適していたといってよい。とりわけ少品種大量生産型システムにおいては標準化された製品を迅速かつ低コストで生産することが重視され、労働者にはコツコツと勤勉に働くことが求められた。そこでは労働時間と仕事の成果はほぼ比例していた。たとえ受け身、消極的な働き方でもそれほど問題ではなかったのである。なお、それは事務や販売などの仕事においてもおおむね同じである。

 ところが、ポスト工業社会に突入すると状況が一変する。1970年代後半から始まったME(マイクロエレクトロニクス)技術革新、そして90年代後半からのIT革命によって生産現場でも、オフィスや店舗でも単純な仕事、定型的な業務は自動化された機械やコンピュータに取って代わられた。そしてハードウエアすなわちモノそのものより、技術、知識、情報、デザインなどソフトウエアが大きな価値をもつようになった。その結果、人間には創造性、革新性、勘、ひらめき、感性、判断力など人間特有の能力がいっそう求められるようになったわけである。

 これらの能力には重要な特徴が2つある。