前回まで:外資系金融機関に勤め、数千万円の年収を手にしていたエリート金融マンだったが、顧客と一緒に海外の機関投資家を回るうち、世界では日本の地方にある伝統工芸品が非常に高く評価されていることを目の当たりにする。
日本の本当の価値を知らないのはむしろ日本人の方なのではないか。そう思い始めたら居ても立っても居られなくなり、高額の年収をかなぐり捨てて日本の伝統工芸士巡りの旅に出た。そして奈良の薬師寺に来たとき・・・。
なぜ世界遺産「薬師寺」の境内でイタリアレストランなのか
最初に始めたのは、日本の伝統工芸品を集めたECサイト『TASUKI』の立ち上げです。
漆塗りの万年筆や漆を施した革製品で作ったアイフォーン(iPhone)ケースなど、伝統工芸と現代をクロスさせた新しいアイテムを企画し、サイトで販売したのですが、これが思うような売り上げを得られませんでした。
電化製品や時計やカメラなどの機械ものと違って、漆器や陶芸品の類は、実物を見て触ってみないと、お客さんの心も動かないのです。「イメージと違った」と返品する人も多く、伝統工芸品とECサイトは相性があまりよくないことに気づき、1年半で閉じました。
仕方なく次のチャレンジを探そうとしていた矢先、突然、興味深い話が舞い込んできました。奈良県の薬師寺の境内にある日本料亭が閉じることになったから、そこで何かやってみないかという依頼でした。
そこで私はすぐに西ノ京にある薬師寺を訪ねました。2010年の春、3月8日のことです。
この日、大谷徹奘さんという有名なお坊さんに初めてお会いし、「これ、どう?」と案内されたのが、なんと建坪だけで350坪、枯山水の庭と駐車場まで入れると1200~1300坪という広大な物件でした。
正直、圧倒されました。そこに「なんかできそう?」と大谷さんに爽やかに聞かれて、つい、「まあ、できると思います・・・」と答えてしまったのです。そこから私の人生は急展開。
急いで東京に帰り、企画書づくりにかかりました。なんとかプロジェクトの中身をまとめたのが3月末のこと。私の考えをまとめて薬師寺に提出したところ、気に入っていただき、お寺からもGOサインをいただけたのでした。
「ほな、来月からお願いしますわ」と、やっぱり笑顔でおっしゃるわけです。
《1カ月でオープンってそんな無茶な……》と衝撃を受けていた私をよそに、ニコニコしていらっしゃる姿はさすが偉いお坊さん。浮世の細かいことなど気にされないのだなあと呆気にとられたものでした。
これは後で知ったことですが、私のところに話が来る前、薬師寺側は奈良ゆかりの大手企業数社に声をかけていたそうですが、色よい返事がもらえなかったようです。
それもそのはず、その道のプロなら誰もが、お寺の中のお店が儲かるのだろうかと疑問に思うのも無理はありません。
しかも薬師寺のある西ノ京は繁華街から少し外れたところにあり、日が暮れると人影もまばら。夏場などは聞こえてくるのはカエルの鳴き声ばかりといった寂しい場所なのです。
それに普通に考えても、寺の境内では何かと営業にも制約が出てきそうです。それが世界遺産ともなればなおさらでしょう。
お店の看板も自由に出せないだろうし、営業時間その他も、自社の都合で設計するお店とは違って、自由が利かないのは目に見えています。私自身、通常の店舗をオープンするのだとしたら、断ったと思います。