細胞内小器官のうち、ミトコンドリアは動物にも植物にもあり、酸素呼吸によって細胞内のエネルギー源となる物質をつくる重要な機能を担当している。また葉緑体は植物にしかないが、太陽エネルギーを使って二酸化炭素と水から炭水化物をつくり出すプロセス(光合成)を担当している。この両者を東西の横綱とすれば、液胞はせいぜい小結くらいの地位しかなかったと思う。
その機能はといえば、植物細胞の大部分を占めているので、「空間充填剤」のようなものだろうと考えられていた。また、樹木の葉が紅葉するときには液胞の中にアントシアニンという色素が蓄積される。このように、特定の物質を溜め込むという機能がある。
植物では動物のように消化・排泄器官がないので、液胞に老廃物を溜め込んでいるのだろう。要するに、植物細胞の「ごみ溜め」だ。一部のごみは分解されるようだ。当時の「液胞」についての認識はこんなものだった。
その「液胞」を研究対象に選ぶというのは、流行に完全に背を向ける態度だ。しかし東大理学部植物学教室では、この態度が高く評価された(というよりも、むしろスタンダードだった)。流行を追う研究は「二番煎じ」であり、東大でやるべきことではないという不文律があった。
ビジネスに例えれば、自分で起業し、オリジナルな商品や技術を開発してこそ次の時代のトップを狙えるのだという考えが徹底していた。ノーベル賞につながる研究を生み出した1つの原動力は、「絶対に人まねはしない」というこの信念だ。
先日、文部科学省の幹部の方に「卓越大学院」(文部科学省が構想している次の大学院改革予算)について意見を述べる機会があったので、私は以下のように述べた。
「資料の中に、卓越という言葉は何度も出てきますが、独創という言葉が1回も出てきません。世界トップレベルの研究業績を出すという意味での卓越なら、それは一流の研究者にとっては当たり前の話です。もっと大切なのは、独創性です。すでに多くの人が注目しているテーマではなく、その人だけが気付いた独創的なテーマで、新しい研究のトレンドを創り出す、そういう研究が大事だと書いてください。大隅さんならきっとそうおっしゃると思います」
大隅さんはなぜ液胞の研究に取り組んだか?
一方で、誰もやっていないテーマは、重要ではないからやられていない場合が少なくない。独善ではなく独創的な研究をするには、重要なテーマを選ぶ必要がある。
液胞の場合、何しろ植物細胞の体積の80~90%を占める器官だ。ただの「空間充填剤」兼「ごみ溜め」とは思えない。液胞の研究を通じて、植物細胞の未知の機能を解明できるのではないか? 大隅さんが液胞の研究を開始されるにあたって、およそこのようなビジョンがあったのだと思う。
大隅さんと知り合ってから、このようなビジョンを伺い、興味をそそられた記憶がある。それは間違いなく、未開拓の重要なテーマだった。ただし、液胞の研究がよもや我々ヒトにまで共通する細胞内分解系の発見につながるとは、誰も予想していなかった。
大隅さんがはじめて液胞に興味を持ったのは、東大着任前に滞在されていたロックフェラー研究所のジェラルド・モーリス・エーデルマン博士(抗体分子の構造を解明し1972年にノーベル生理学・医学賞を受賞)の研究室で、酵母の研究を開始された1976年のことだ。
大隅さんは細かく砕いた酵母細胞を含む溶液を遠心分離機にかけ、試験管の底に沈んだ細胞核を単離する際に、上澄み液(核を単離する上での不要物)の中に何かが濃縮されていることに気づいた。顕微鏡で覗いてみたところ、それが液胞だったのだ。
酵母の液胞は1ミクロン(1mmの1000分の1)程度で、植物細胞の液胞に比べればずっと小型だが、それでも顕微鏡ではっきりと形が観察できる大きさだ。その事実は大隅さんの心をとらえ、のちのオートファジーを「見る」という発見につながった。