2016年度のノーベル医学生理学賞を大隅良典先生が単独受賞されました。完全に日本発と言っていい、基礎生物科学の横綱級の業績が正統に評価され、個人的にも心から嬉しく、最高のお祝いを申し上げたいと思います。
と言うのも、内外研究機関にはまるで国策のように「ノーベル賞を取れ、取れ」といった圧力がかかっている趨勢と関係に、御本人の問題意識から立ち上がる基礎的な課題に1人で取り組まれ、人類史に貢献される大きな成果を出されたからです。
また率直に記しますが、かなり不遇な環境の中で、流行やら資金の流れやら政治やら、学術の本質と関わりのない一切を切り捨ててこられた。
それが正面から「単独受賞」という形で評価された。この圧倒的なオリジナリティにこそ、日本は注目し、学びかつ襟を正すべきだと思うのです。
死と再生の新しい形
いろいろ経緯があり、日経ビジネスオンライン「常識の源流探訪」などの連載でオートファジーに言及して10年ほどになります。毎年正月「週刊現代」から依頼される今年焦点の当たる科学者という話でも大隅先生のお仕事に触れてきましたが、私自身は物理の背景を持つ音楽家に過ぎまぜん。
専門の理解には明らかな限界があり、今回は優れたプロの解説があちこちであると思いますので、そういうところでは逆立ちしても書かなさそうなポイントに限局して、オートファジーとその独立独歩、完全にオリジナルな研究史に触れてみたいと思います。
皆さんは「死」という言葉をどのように捉えられるでしょう?
先週、講義でも学生たちに大隅先生の受賞を受けて同じ質問をしてみたのですが、100%「個体の死」を前提とする回答ばかり返ってきました。
私が死ぬ/あるいは、あなたが死ぬ。これは大事です。では、私が生きている間、常に自分の身体を構成している部品も生き続けているのでしょうか?
新陳代謝という言葉がありますね。私たちの体は9か月もすると、それを構成している物質の何十パーセントは完全に入れ替わる、という話をご存じの方も多いと思います。