“(クマの親子に遭遇して)にらみ合うとか、威嚇のポーズ、ニャーニャー鳴くとか、一切なしです。あっという間に走ってきて(中略)クマに足元から駆け上がられるような格好で押さえつけられて倒され、身体に爪を立てられ、顔をかみつかれて終わりです。ガードするとか、そういう余裕すらありませんでした。 ”
気を付けていても、事故は起きるときには起きてしまう。これらは出会い頭でもなく、本当に不運だった事例だろう。
「じゃあ山なんて行かなきゃいいじゃん」と言われてしまえば、それまでだ。でも深山幽谷だけでなく、東京の郊外にだってクマはいる。目撃情報のある場所には行かないに越したことはないが、自然を楽しむ機会を完全に諦めてしまっては、かえって野生動物への理解と愛着を失いはしないだろうか?
それでも釣りをしたい?
ところで本書、クマの本なのに「サオ仕舞いと決めたポイントでは37cmを頭に3尾の尺イワナに出会えた。沢に棲む魚特有のヒレが朱に染まった美麗な魚体だった・・・」とか「途端に引き込まれるサオ先。アワセで良型と確信。雪上で暴れるイワナは尺近い豊満な魚体・・・」等々、唐突に釣果礼賛の記述が出てくる。き、気になる。
また、藪の中からチラチラとクマの顔が見えている緊迫した状況下、
“どうする、どうする? どんどん日が暮れていく。対岸近くでは、よいサイズのマスのライズが始まっていた。釣りをしたい。”
――いやいやいやいや、それどころじゃないでしょう!? とツッコミつつも、「なんだか釣りって楽しそうだな」と感じ始めている自分が怖い。もし釣りまで始めてしまったら、ますますクマに遭う可能性が高くなってしまうではないか。悩む。