カレーの歴史を洗い直したら大きな謎に突き当たった

日本カレーの“源流の源流”に迫る

2016.10.14(Fri)漆原 次郎
ヘイスティングズの肖像画。ティリー・ケトル(1735-1786)作。

 企業が発信するこれらの似た記述は、何を情報源にしているのか。ハウス食品に聞くと、小菅桂子『カレーライスの誕生』(講談社学術文庫)などを元に作成しているとのことだった。また、S&Bからは、山崎峯次郎著『香辛料 その歴史とカレー』(凸版印刷)、『森枝卓士著『カレーライスと日本人』(講談社現代新書)、水野仁輔著『カレーライスの謎』(角川SSC新書)、そして小菅の同著の記述を主に参考に編集していると回答を得た。

 情報源として共通する小菅桂子著『カレーライスの誕生』を見てみると、ヘイスティングズの名が出てくる。小菅はヘイスティングズについて、「『カリ』を一七七二年に持ち帰ったとある」としている。なお「カリ」は、タミル語の方言で「野菜、肉、食事」などを意味し、これが「カレー」の語源ともされている。

 ただし、小菅の記述も別の情報源によるものだった。同著には「小学館『日本大百科全書』によれば」とある。そこで、原典をたどって『日本大百科全書』を見てみた。たしかに、「カレー粉」の項目にこう書かれている。

<(前略)日本に最初に紹介された西洋香辛料は、イギリスの『C&Bカレー粉』であった。これは、イギリスの初代インド総督ウォレン・ヘースティングズが、インドの『カリ』を一七七二年に本国に持ち帰ったものを、クロス・エンド・ブラックウェル社がイギリス人にあうように混合しなおしたもので、のちにビクトリア女王に献上したといわれている。(後略)>

1772年、ヘイスティングズは帰国していなかった

 これで解決としたいところだったが、ふたたび謎にぶち当たってしまった。

 英国ではヘイスティングズによるカレー伝来をどう伝えているのか知りたくなり、英語での情報検索を試みた。ところが、ヘイスティングズとカレーの関係をめぐる英国発の情報が、皆無といってよいほど見つからないのである。インターネットでは、英文で見つかったのは、S&Bが世界向けて発信する“About Curry”(カレーについて)というサイトや、日本人による高校英語のワークシートの題材での記述ぐらいだった。

 そこで、チャールズ・ローソン卿という人物が1895年に著した『The Private Life of Warren Hastings(ウォーレン・ヘイスティングズの私的生活)』(ロンドン・スワン社刊)を読んでみると、本国の英国に「カリ」を持ち帰ったとされる1772年、ヘイスティングズは、「カルカッタでの新たな役職の仕事に忙殺されていた」とある。同年、彼はマドラス管区における参事会メンバーから、カルカッタ知事へと役職を移していた。そして、この年、ヘイスティングズが本国の英国に帰国をしたという記述は見当たらない。

 別の資料にも当たってみる。英国の歴史家トーマス・マコーリー(1800-1859)が著した『Warren Hastings : An Essay(ウォーレン・ヘイスティングズ 随筆)』には、版によってヘイスティングズの年表がついている。それらを見ると、問題の1772年について、彼がマドラス管区参事会メンバーからカルカッタ知事への異動したことは書かれているものの、やはり本国に帰国したという記述はない。

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