新たに製造すれば、最低2年はかかって選挙には到底間に合わないが、新規車両を購入するのも費用がかさむ。八方ふさがりだった遠藤さんらにとって、ストランド線と同じ標準軌(1435mm)を使っている広島電鉄がちょうど車両の入れ替えを検討しており、ミャンマー国鉄への譲渡に合意してくれたのは、幸運なめぐり合わせだったと言えよう。
待望の3両編成の路面電車2組と、1両単独の路面電車が7月にヤンゴン港に到着したのを受け、これらの車両を動かすべく日本から派遣され、電車の仕組みから運転方法、維持管理に至るまで、文字通り一から教えたのが、前出の広電の技術者たちだ。
その中の1人、電車技術部車両課長の平本敦さんは、「人命に関わるため、とにかく感電事故を起こさないように気を配った。機器を扱う時は、必ず電源を遮断することを徹底した」と話してくれた後、再びするすると屋根の上に戻っていった。
9月に入り、ミャンマー国鉄が進めていた電力省との調整や用地取得がようやくまとまったのを受けて、いよいよ電化工事がスタートした。JICと日本電設工業の技術者たちは、初めての経験に戸惑うミャンマー側に寄り添って、設計から資材調達のアドバイス、工事の進め方まで丁寧に指導。
2カ月の間に、高圧の交流電気を直流600Vに変換して架線に流すための変電所を建設するとともに、架線を支えるためのコンクリート製の電柱を線路の両脇に建設した。
「既存の線路を活用し、中古車両を日本から持ってくることで、巨額の資金をかけずに電化の夢を後押しするのは、資金協力を前提としないきめ細かな技術支援の在り方」「日本とミャンマーが手を取り合い、車両から変電所、架線に至るまですべて日本方式が導入されたことには、非常に大きな意味がある」と遠藤さんは強調する。
とはいえ、この事業のポイントは、電化という新技術の導入にとどまらない。経営やメンテナンスについて指導することも、この事業の重要な目的の1つである。
広電は、1945年8月6日に広島に原爆が投下された後、わずか3日で運転を再開したことから、「復興のシンボル」として同市で尊敬を集める存在であると同時に、日本各地から中古車両を譲り受け、メンテナンスを行いながら使い続けていることでも知られている。
「きちんと維持管理しさえすれば、電車は何十年でも使い続けることができることを体現している」
この広電から車両譲渡が実現した背景には、ミャンマー国鉄から委託を受けたウエストコーポレーションという企業の尽力も非常に大きかったという。ストランド線を走る広電は、まさに日緬両国の絆の象徴だと言えよう。