「蝶のように舞い、蜂のように刺し」ヘビー級ボクシングを変えた。「ベトコンは俺をニガー(黒人の蔑称)とは呼ばない」と、兵役を拒否、黒人差別の現実を訴え、ベトナム反戦の旗手となった。黒人社会にとって特別な存在、社会問題を身をもって提起した稀有なるアスリート、モハメド・アリ。
近年、社会問題に一家言持つアスリートも増えた。しかし、ピークにあるキャリアをリスクにさらしてまでも行動する者は少ない。だから「I am the greatest」とまくしたるtrash talkerであっても、アリは「people’s champ」であり続けた。
そのフィクションのごとき波乱万丈の人生は、多くの映画で知ることができる。
ウィル・スミスがアリを演じアカデミー賞主演男優賞候補となった『ALI アリ』(2001)。ジョージ・フォアマン、ジョー・フレージャー、ラリー・ホームズ、レオン・スピンクス、ケン・ノートン・・・対戦相手のボクサー視線で語られるドキュメンタリー『フェイシング・アリ』(2009)。アリ自らが主演した自伝の映画化『アリ/ザ・グレーテスト』(1977)という作品もある。
ケンタッキー州ルイビル生まれ
ケンタッキー州ルイビルに生まれ、ローマ五輪ライトヘビー級金メダリストとなったカシアス・クレイは、1964年、圧倒的不利との予想を覆し、王者ソニー・リストンを倒し、22歳でヘビー級王座についた。
そして、「Nation of Islam」信徒であることを公言。名前も「モハメド・アリ」となった。
アーニー・テレルとの王座統一戦では、「カシアス・クレイ」と呼び挑発するテレルに対し、アリは「アンクル・トム」と応酬、試合中も「俺の名は?」と叫びながら勝利した。
アリは言う。「カシアス・クレイは奴隷主につけられた名前だ」と。
アリは無敵の強さを見せ続けた。しかし、1967年3月を最後に、試合から遠ざかることになる。
宗教的信念による良心的兵役拒否。まだベトナム戦争に肯定的な風潮の頃。反愛国的との批判は少なくなかった。