終わりに
銃剣をつきつけて作られた日本国憲法であり、東京裁判であった。マッカーサーは権力で推し進めた施策で、自分の汚名が残ることを良しとしなかったこともあり、占領終了を控えて、あるいは帰国直後に本心を明かしたのである。
そこには、米本国によって「傀儡にされてきた自分」が合わせ鏡に映っていたのかもしれない。検閲が解かれれば早晩、真相が暴露され、占領間の見直しがあるに違いないと予期していたのであろう。それがまっとうな国の在り様でもあるからである。
しかし、GHQの検閲などに加担した英語を得意とする高学歴の日本人は、当時の平均給与の数十倍という高額を貰い、塗炭の苦しみにあったほとんどの日本国民とは天地の差がある生活をしていた者も多かったと言われる。
そうした日本人が戦後は覆面でマスコミなどで活躍し、左翼的言論活動を牽引して今日の言論空間の形成に貢献したとみられている。
マッカーサー指揮下のGHQで覆面的に働いた日本人たちが、戦後はマッカーサーの意図に反して走ってきた。これほどのアイロニーはないかもしれない。日本が解体しかねない今こそ、マッカーサーの真意を汲むべきではなかろうか。