日本国憲法は、米国製憲法や擬制憲法などとも揶揄される。評論家の江藤淳は日本国憲法などと呼べる代物ではないとして、「1946年憲法」と呼んだ。
比較憲法学の権威である西修駒沢大学名誉教授は、前文の「われらとわれらの子孫のために、(中略)自由のもたらす恵沢を確保」は米憲法の、「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会」はテヘラン宣言の、また「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免かれ」は大西洋憲章の言い回しを少し変えてコピー&ペーストしたものだという(「阿比留瑠比の極言御免」、「産経新聞」平成27年3月26日)。
最高法規の憲法は、このように蔑まれながらも70年以上にわたって一字一句の改正もされなかった。自民党は改憲を党是としながらも、高い改正条項をクリアーすることができず、解釈の変更などで国際情勢の変化に対応してきた。
しかし、それも限界に達しつつある。ハーグ条約に違反してまで明治憲法と全く異なる「日本国憲法」を押しつけたマッカーサーの思惑を解きほぐしながら、どうあるべきかを考えてみたい。
日本の存続を保障しない現憲法
批評家の大塚英志氏は、セブン=イレブンやディズニーランドの(未体験、かつ理想的な)接客マニュアル通りに従業員が接客できたのは日本だけで、しかもいとも簡単に本国より進化した形態に作り上げてしまったが、本場の米国では様々な理由で履行不可能であったと言う。
同様に日本国憲法についても、「アメリカ本国でさえ未だ到達しえない理念をランダムに『憲法』に織り込んだ」にもかかわらず、日本は「それを過剰に実行し、生きてしまった。(こうして)日本国憲法は『アメリカの影』をもはや突き抜けたのではないか」(『Voice』1995.6)とも述べていた。
理屈がどうであれ、確かに日本は憲法の一字一句も変えることなく、戦後の70年を生きてきたことは事実である。ただ、平和がその憲法ゆえに守られてきたという一部の言説は「木を見て森を見ない」誹りを免れない。
共産党や社民党をはじめとする野党は、軍隊非保有を定めた憲法9条が存在したから、外国は平和主義の日本を攻めることもなく、平和が守られてきたと主張する。
しかし、この言説が国際社会の現実から故意に目をそらさせ、国民を安全保障に無関心にしただけであることは、近隣諸国の行動に照らしても明々白々である。