舛添都知事の辞任は日本の意思決定の特徴を示している。写真は東京都庁(資料写真、出所:Wikimedia Commons

 東京都の舛添要一知事が辞任した。彼は重大な失政をしたわけでもなく、違法行為があったわけでもない。海外出張が豪華すぎるという批判は石原慎太郎知事のときもあったが、辞任するほどの問題ではないと自民党も考えていた。しかし運悪く参議院選挙と重なったため、イメージ悪化を恐れて安倍首相が辞任を勧告した。

 この事件は、普通の民主政治とは違う日本の意思決定の特徴を示している。そこで絶対的な価値をもつのは法ではなく「空気」であり、知事は最高の意思決定者ではなく、官僚機構の調整機関である。この意味で日本の政治システムは、江戸時代からあまり変わっていないのだ。

舛添知事は官僚の「みこし」に乗っていただけ

 都道府県知事というのは大きな権限をもっているようだが、実は大したことはできない。たとえば、いま問題になっている保育所の待機児童は東京都が全国最悪で、世田谷区では希望者の47%に達するが、他方で幼稚園は定員割れになっているところが多い。

 普通に考えれば、両者を合併して一体運用すればいいのだが、知事にはできない。保育所の所管は厚生労働省、幼稚園は文部科学省で、都庁の中でも担当部局が違うからだ。「幼保一元化」の話し合いは10年以上続いているが、最近ようやく「認定こども園」という保育所まがいの施設が少しできただけだ。

 この点で、知事の立場は国政でいうと閣僚に似ている。形式的には厚労省の最高責任者は厚労相だが、実際には彼にはほとんど権限がない。行政の多くは他の官庁と関係しており、各省折衝で関係者が一致しないと大臣に上がってこない合意とボトムアップによる意思決定になっているからだ。

 この点は、舛添氏自身が厚労相を752日間(閣僚としては比較的長い)やった体験として書いている。医学部の定員を増やすとか後期高齢者の補助を増やすなど、役所の予算が増える政策はスムーズに進むのだが、最大の懸案である公的年金については「事務方にまかせた」としか書いていない。