(パリより)
世界経済の行き詰まりに直面して、元アメリカ連邦準備制度理事会の議長ベン・バーナンキ氏や、カリフォルニア大学バークレー校の経済学教授ブラッドフォード・デロング氏をはじめとする評論家の多くは、「マネーによる積極財政」を政策の候補に含めるべきだと論じている。
しかし、新札発行によるいわゆる「ヘリコプターマネーのばらまき」論は強い反論を受けている。反対論者の中にはアリアンツのチーフ・エコノミストであるマイケル・ヘイス氏や、安倍首相の特別経済顧問であり日本経済再生計画「アベノミクス」の立案者の1人である浜田宏一氏などがいる(参考「天からの新札?」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46783)。
私はヘイス氏や浜田氏の議論には反対であるが、中心となる課題に彼らが正しく焦点を当てているのは確かだ。中心となる課題というのは、通貨金融の方策としての通貨発行が過剰に行われることで招かれるリスクである。
ここでの重要な問いは、我々がそのリスクからの防衛手段としての規律と責任を制度化できるかということである。その問いに私はイエスと答える。そして私は、政策案が「通貨発行を行わないこと」ではなく、「適切な規律でコントロールできない通貨発行を行うこと」になる国もあると考えている。
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私が最近IMF(国際通貨基金)の調査資料で論じていることであるが、(私が資料で論じた)テクニカルな局面においては、通貨発行の問題を争う余地はない。通貨発行は、たとえ、国債での資金調達・マイナス金利政策といった他の政策が功を奏さないときでも、常に名目需要の刺激剤になる政策の1つである。そして、通貨発行が名目需要に与える影響力は原則として測定可能である。少額であれば、生産高や物価水準に対する潜在的に有益な刺激剤になるし、多額であれば、過度のインフレを引き起こす、というように。