このトモダチ作戦に参加した海兵隊将校たちが「イラクやアフガニスタンの戦場とは直接比較はできないが、破壊規模という点ではレベルが桁違いなほどで、歴戦の海兵隊将校といえどもこれまでになく大きな衝撃を受けていた」と口々に言う。

 それに加えて、冒頭で紹介したように、日本に海兵隊的能力が存在していたならば、より多くの人命を救うことができたとの感想を口にするのだ(もちろん、この種の感想はあくまで仮定の話であり、日本に海兵隊的能力が存在していたならば数千人の人命が救われたのかどうかは分からない)。

悔しさを口にする背景

 なぜ「海兵隊的能力があれば、多くの人命を救えたにちがいない」という声が上がるのか?

 じつは、トモダチ作戦が実施されるより数年前から、アメリカ海兵隊では「島国国家、日本の防衛にはアメリカ海兵隊的な能力を有した組織が必要である」といった意見を日本側に向けて発信していた。筆者もその意見には賛成であり、推進活動の一環として『アメリカ海兵隊のドクトリン』(芙蓉書房出版、2009年)を上梓したり、『米軍が見た自衛隊の実力』(宝島社、2009年)で海兵隊側の構想を紹介したりした。

 そして、2010年春にはNHK沖縄の取材チームを太平洋海兵隊司令部に案内した(取材班は2週間にわたって緻密な取材を実施した)。その際、海兵隊の司令官はじめ幹部将校たちはインタビューに答え、「我々海兵隊の各種能力は、もちろん戦闘のためのものではあるが、日本のような島国における大規模自然災害に際しては、まさに獅子奮迅の働きをする。日本は海兵隊的能力を構築することが急務であると考える」といった趣旨の話をしていた。

 しかしながら、そのような海兵隊の声は日本政府や国会などに届きようがなく、日本は海兵隊的能力を保持しないまま「3.11」を迎えてしまったのだ。

 このようなバックグラウンドがあるため、多くの海兵隊将校たちが「海兵隊的能力があれば、多くの人命を救えたにちがいない」との声を上げているのである。