トモダチ作戦で揚陸艇に乗り込み気仙沼大島に着岸した31MEU救援部隊(写真:米海軍)

 3月を迎えると、「トモダチ作戦」に参加した海兵隊将校たちとの間で日本と水陸両用戦能力というテーマがしばしば話題に上る。彼らは次のように語る。

「大震災当時、もし日本に海兵隊的能力、少なくとも水陸両用能力が存在していたならば、かなり多くの人々の命を救うことができたにちがいない」

「さらに残念なのは、たまたま『31MEU』(第31海兵遠征隊)が東南アジアで作戦中で不在だったことだ。31MEUが緊急展開できていただけでも2000名の命を救うことができたと思う」

日本に海兵隊的能力が存在していれば・・・

 東日本大震災が発生した当時、沖縄を本拠にしていたアメリカ海兵隊の実働部隊本隊である31MEUは東南アジアで活動中であった。そのため、被災地救難支援活動へ緊急展開できたのは、ヘリコプターや輸送機を中心とする留守部隊であった。

 留守部隊は翌日の3月12日から支援活動を開始し、14日には仙台に前進司令部を設置し、海軍や空軍とも協力して本格的支援活動を開始した。いわゆるトモダチ作戦である。

 16日には、海兵隊と嘉手納から派遣された空軍特殊戦術飛行隊によって仙台空港が使用できるようになり、17日には東南アジアから揚陸艦に分乗して急行してきた31MEUも秋田沖に到着し、支援活動を開始した。やがて太平洋側に回り込んだ31MEUは揚陸艦から被災地に揚陸艇やヘリコプターでアクセスして、本格的な救援支援活動に従事した(拙著『写真で見るトモダチ作戦』並木書房)。