メコン川の途中にあった入国審査場(筆者撮影、以下同)

 国境を越えるというのがとても、楽しい時期があった。まだ旅に出たてのころの話である。

 なんてったって国境越えというのは大イベントだ。

 国境までの行き方、無事に入国できるのかという不安、そんな旅人の不安にのっとった、入国審査官との上下関係。入国しても町までたどり着くバスはあるのか、町に宿はあるのか、ここは行き止まりではないのか。両替のレートはどうだろう。両替商と喧嘩せずに越えられるか。一文無しになったらどうしよう。荷物は警察の検査に引っかからないか? などなどなど。

ベトナム・チャウドック

 そういうたくさんの緊張感は、移動に非日常性を付加し、旅らしさを付加する。新米旅人だった私にとって、国境越えというのはリアルRPGで、実にアトラクション然としていた。

 その頃はまだ、国境に画された国民国家の集合体、というモザイク状の世界地図を信じて旅をしていた。だから、東南アジアを奥に分け入るにつれ、「国ごとに」、風のにおいが、言葉が、食べ物が、ひとの反応が、変わっていくのを新鮮な気持ちで眺めていた。国境線なんて人間の作ったまやかしであるのに、国境を越えることで、私を取り巻く音の伝わり方が、時間の流れ方がふと、別のものになる気がした。

 目に見えないものが見えるようになるというのはホラー映画の手法であるが、こういう現象は日常の中にも現れる。日常と日常の間にさくりと非日常が挟まったとき今まで見ていなかったものが目に入るようになる。挟むべき非日常が顕在化したもののひとつが、当時は「国境」というやつだった。

川上りの途中の入国審査

 ベトナムからカンボジアへは船で渡った。