2020東京オリンピックのメインスタジアムとなるべき新国立競技場の問題で、白紙撤回となった旧プランを設計したイラク出身の英国の女性建築家ザハ・ハディド氏の事務所に、未納文の建築設計料を全額支払う代わりに、著作権を譲るよう、日本スポーツ振興センターが要請していた、という驚くべき報道がありました。
見る人が見れば仰天せざるを得ない、驚くべき「国恥」の状況ですが、著作権に親しみのない方にはピンと来ない場合があるようです。
そこで、この問題を基点に、著作権と知的財産権の問題を「卓越」ベースで考えてみたいと思います。
制作料と著作権の分別
建築家が依頼を受けて建物を設計した、その図面をきちんと納品して対価を受け取ったのだから「著作権」くらい譲り渡してもいいんじゃないか・・・?
そんなふうに考える方が、存外たくさんおられるのではないでしょうか?
実際私の周囲にいる若い人たちには、ぴんと来ないケースが少なくなかった。そういう人には、例えばこんな例を考えてほしいのです。
今仮に、ベートーベンさんがラズモフスキー侯爵から委嘱を受けて、弦楽四重奏曲を納品したとしましょう。「大儀であった・・・」と、何百ギルダーとかの報酬を受け取ります。これが「制作料」ですね。
さて、ではその「ベートーベン作曲 弦楽四重奏曲」が演奏されたとして、あるいはその譜面が発売されたとして、そのコピーライトは誰に入るべきものでしょう?
仮にベートーベンに一銭も払わず、すべてラズモフスキー家が勝手に譜面を出版したり、CDを作って発売したりしたら・・・。時代考証がめちゃくちゃ、とか言わないでくださいね、分かりやすいよう、わざとそうしているので。どうでしょう?
いや、実は大昔はこんなだったのです、著作権という概念ができる前は。実際、ベートーベンの時代、著作権という考え方はなかった。こういう未開な知的財産権の考え方を音楽の世界では「買取り」と呼ぶことがあります。