東北有数の製造業の集積地である山形県長井市。市内の工業団地の一角に、斎藤金型製作所がある。

(株)斎藤金型製作所
〒993-0075
山形県長井市成田950-1

 応接室に入ると、書類棚の上に置かれた1枚の写真が目に入る。写真には社長の斎藤輝彦氏と、岡野工業(東京都墨田区)の社長、岡野雅行氏が並んで写っている。小型リチウムイオン電池ケース、“痛くない注射針” などを次々に開発し、「世界一の職人」として知られる、あの岡野氏だ。

 輝彦氏と岡野氏の間には、「町工場の経営者」という共通点を超えた太いつながりがある(ちなみに2人とも「代表社員」を自称しているという共通点もある)。

 2人が出会ったのは二十数年前。実は、輝彦氏は高校卒業後に岡野工業で修業をしていた。岡野氏のいわば直系の弟子なのだ。

金型技術で日本のブロードバンド回線を支える

 会社を創業したのは輝彦氏の祖父だ。もともとは戦前に東京で金型製作の仕事をしていたが、太平洋戦争中に長井市に機械ごと疎開してきた。そして1964(昭和39)年に息子の豪盛氏(輝彦氏の父親)が斎藤金型製作所を設立した。

今までに製作した携帯電話の筐体

 同社が手がけるのはプラスチック成形、金属射出などの金型製作、射出成形、プレス加工など。最近は通信機器メーカー向けに、ブロードバンド通信用のモデムやルーター、トランシーバーなどの筐体や機構部品を製作する仕事が多い。現在の社員数は約40人。売上高は約6億円である。

 中小企業の多くが不況にあえぐ中、「今のところ受注の落ち込みはほとんどありません」(輝彦氏)と言う。現在、国内ではブロードバンド通信の本命として光ファイバー接続の需要が増えており、斎藤金型製作所は関連製品を量産している。

 「不況を見越して、できるだけ製品の種類や納入先を広げてきたし、最近の原料価格の値上がりも価格に転嫁させてもらっている。その点は恵まれていると思います。また、機械を自作するなど、自動化、合理化も進めています。おかげで利益率もだんだんと上がってきました」

単身、米国に乗り込みGEから受注した先代社長

斎藤金型製作所の外観

 斎藤金型製作所の歴史を振り返ると、1970年代初頭に大きな転機があった。米国のゼネラル・エレクトリック(GE)から受注を獲得したのである。電子レンジの操作パネルを手始めに、電話機の筐体などを製造して直接GEに納めるようになった。

 米国では誰にも知られていない山形県の中小企業が、なぜGEと直(じか)取引を行えたのか。それは、ひとえに先代社長、豪盛氏の類まれなエネルギーとバイタリティーの賜物だった。当時30代半ばだった豪盛氏は単身で米国に乗り込み、GEとの契約を取り付けたのだ。

 それまでの斎藤金型製作所はプラスチック金型の製作を専業としていたが、豪盛氏は「このままでは先細りになる。会社の将来はない」と考えた。一気に業務を拡大することを目論み、売り込み先として狙いをつけたのが米国のGEだった。早速、知り合いのつてを頼って、米国大使館の職員に紹介状を書いてもらった。