2010年8月10日朝、20代の脳死男性の臓器が、5人の人々へ移植された。

 心臓は肥大型心筋症の20代男性へ、両肺はびまん性気管支炎の20代男性へ、肝臓はC型ウイルス性肝硬変の60代女性へ、腎臓は低形成腎の10代男性へ、そして、もう一方の腎臓と膵臓は1型糖尿病の50代女性に移植された。1人のドナーが5人の命に貢献したのである。

 この移植が注目されるのは、「改正臓器移植法」の最初の適用例だからだ。

 2009年の臓器移植法の改正で、本人が文書で同意していなくても、家族が同意すれば臓器移植のドナーになることができるようになった。今回はその実例第1号だ。

 脳死した男性は常日頃から臓器提供の意志を表明してはいたものの、文書にはしていなかった。家族の方が「故人の意志だ」として、臓器移植に同意して臓器移植が可能になった。なお、臓器提供者が入院していた病院は、手術の前後に、提供者の家族に専門の看護師をつけて支援にあたったという。

 臓器は都内から、都内の他の病院をはじめ、岡山、愛知、群馬まで運ばれた。提供されたご本人とご家族の意志を心から尊ぶとともに、移植を受けられた5人の方々がこれからも元気に活躍されることをお祈りしたい。

日本ではなぜ臓器移植が一向に進まないのか

 「臓器移植法」が制定され、脳死者からの臓器移植を認められてから、既に十数年たった。だが、臓器移植を必要とする多くの患者が待ち望んでいるのに、移植は一向に進まない。

 日本での臓器移植は、現在、年間に数件しかない。数万件の例がある米国とは比較にもならないし、欧州各国に比べても10分の1以下の実施例しかない。そのため、日本では待っていられないとばかりに、多額の募金を集めて米国で移植する例が後を絶たない。

 ところが、米国でも臓器は必要数の10分の1程度しか提供されない。日本人が移植を受ければ、米国の誰かが後回しになるのである。「金で順番を買うようなやり方」に対して米国でも反発があり、2010年3月には病院から拒否されるという事件も起こっている。

 このように日本で臓器移植が進まない事態に鑑みて、2009年に臓器移植法が改正された。まず、(1)本人の承諾が得られなくとも、家族の承諾があれば移植が可能となった。また、(2)15歳未満の小児であっても、臓器提供を認めることにした。その実例が今回初めて出たわけである。

 しかしこの改正についても、脳死・臓器移植そのものを認めようとしない人々は「脳死が人の死と言えるのか」「脳死から生き返った人もいる」と相変わらず反対運動を展開し、今も臓器移植に際しての手続き上の些細な不備を見つけて糾弾しようと手ぐすねをひいている。

 臓器移植にはどうしても「誰かの死を待つ」という側面があり、脳死と判定された途端に患者のあらゆる臓器を取り去っていくというイメージが払拭できない。

 マスコミは「外国で臓器移植を受ける難病の少女」というような場合はお涙頂戴でセンセーショナルな報道をする。そのくせ、一方で昔から医師のささいなミスを糾弾し続けるから、医師も萎縮して脳死判定をしたがらない。移植が一向に進まない。

 さらに警察が追い打ちをかける。「心臓停止をもって人の死とする」という刑事訴訟法をタテに、ちょっとでも医師側にミスがあれば殺人罪を適用しようと待ちかまえている。

 これでは医師も、仮に患者がドナーカードを持っていると知っていても気づかないふりをして、死亡診断書を出して埋葬してしまう。触らぬ神に祟りなし。クワバラ、クワバラだ。