2014年10月21日、韓国最大の金融グループであるKB金融持ち株会社の会長に尹鍾圭(ユン・ジョンギュ=1955年生)氏が内定した。
持ち株会社の会長と傘下の銀行のトップが対立して両者ともに退任するという前代未聞の内紛劇で混乱していた金融グループトップになるのは異色の経歴の人物だ(2014年10月1日「韓国に『サムスンのような』銀行がない理由」参照)。
混乱極めるKB金融持ち株会社、危機打開を任された新会長の第一声
「組織内部の対立による混乱を収め、成果と力量による公正な人事を通して経営正常化を図る」
会長に内定した尹鍾圭氏の第一声は、「利益を○倍に引き上げる」「グローバル○位を目指す」というような内容が多い韓国大企業のトップ内定者とはまったく異なっていた。それだけ内紛劇の後遺症が大きいことを物語った。
何しろひどい状態だった。持ち株会社の会長と、傘下にありながらグループ全体の利益の大半を稼ぐ国民銀行(KB)の銀行長が1年余り前の就任からことごとく対立し、人事も経営も停滞を余儀なくされていたのだ。
この間、不祥事を繰り返し、とても銀行を傘下に置く金融グループと言えるような経営状態ではなかった。
こういう「組織の危機」にどんなトップを起用するのか。社外役員などで構成する指名委員会もさぞ頭を悩ましたであろう。
こんな難局乗り切りを任された尹鍾圭氏はかなりユニークな経歴の持ち主だ。
銀行就職後も勉強続け、上級公務員試験の筆記を2位でパス
全羅南道羅洲(ナジュ)出身で、家庭の事情から光州商業高校に進学する。1980年代前半頃まで、大学進学が難しい文科系志向の優秀な中学生が全国の商業高校に進学した。
盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領も釜山商業高校を卒業後、苦学の末、司法試験に合格して「民主化弁護士」として頭角を現した。尹鍾圭氏も同じように地元の名門商業高校に進んだ。
卒業後、当時、最難関だった外換銀行に入ったが、そのまま勤務するには優秀すぎたのか、大きな希望があったのか。成均館大学の夜間部に通って勉強を続ける。