「2013年度に起きた鉄道係員への暴力行為で60代以上の加害者が最多となった」
2014年7月7日にJR3社や日本民営鉄道協会が発表した「鉄道係員に対する暴力行為の件数・発生状況」によれば、加害者の年齢は「60代以上」が23.4%で5年連続のトップとなった。この結果にネット上では「確かに駅トラブルはオッサン多いかも」などのコメントが多く寄せられている。残念ながら、高齢者によるトラブルは日常の中で決して珍しい光景ではなくなった。
日本は2013年に男性の平均年齢が初めて80歳を超え、「人生85年時代」を迎えた。65歳で仕事を辞めてもまだ20年ある。「老後」や「余生」という後ろ向きのイメージだけで20年を過ごすのには長すぎる。
しかし若さに価値を置く現代社会は、高齢者の問題を社会保障の対象としか見ない。そのため、高齢者は社会にとって「やっかいな存在」になりつつある。玄田有史東京大学教授らが研究する「希望学」では対象年齢の上限を50歳にしているが、夢も希望もなくなった「荒れる高齢者」が今後ますます増加することが懸念されている。
高齢者に求められる発想の転換
だが、このような風潮に対して社会学者の天野正子氏は次のように異を唱える。
「失われた20年を経て、高齢社会が現実になった今は、『老いがい』の時代。老いがいとは年齢を重ねる過程で手に入れたその人固有の老いとの向き合い方。老いとは何かを失うことだけではなく、それまで知り得なかった新しい人生の見方を得る創造の連続である」(2014年8月2日付「日本経済新聞」参照)。
現在の高齢者が現役だった高度経済成長期に盛んだったのは「生きがい論」であり、何をどれだけ獲得したかなど業績や地位が最大の関心事だった。だが、高齢になれば病の発症などを契機に、誰もがこれまで避けてきた老いと死の問題に直面することになる。
天野氏は「人の生と老いと死をつなぐものは過去の成果や業績ではなく、ただ、自分を行き切るという行為である」という。この発想の転換ができる高齢者はどれほどいるだろうか。