「ビールに枝豆」の組み合わせはいつから始まったのか

“おつまみの王者”枝豆の歴史といま(前篇)

2014.06.13(Fri)漆原 次郎

 茹でた枝豆を売り歩く「枝豆売り」という職業も現れた。江戸時代から明治時代にかけての随筆家だった小寺玉晁(1800~1878)の著した『江戸見草』には、「六月初より、『枝豆やユデマメ』と町々、武士小路売歩く。初めより八月九月になりても、壱わ四文づつなり」とある。

 「壱わ」は「一束」のことだろう。それが「四文」だという。江戸時代後期の「1文」は、現在でいう10円ほどだったので、一束分で40円。安価な枝豆を、糊口を凌ぐために女たちが売っていたようだ。江戸文化を研究した三田村鳶魚(1870-1952)によると「豆ヤー、枝まァめェ」という枝豆売りのかけ声もあった。

昭和初期にはすでに「ビールの肴に枝豆」

 江戸時代、枝豆は茹でたものを気軽に食べる庶民の“ファストフード”だったわけだ。

 気軽に食べるという構図は現代にも受け継がれている。例えば、ビールのつまみの定番といえば枝豆だ。

 ここで疑問がわく。いつ、どのようにして、枝豆はビールのつまみの定番となったのだろう。

 日本でビールの製造・販売が本格的に始まったのは、1872(明治5)年のこと。綿卸だった大阪の渋谷庄三郎が「渋谷ビール」を開業したのが端緒だ。つまり、明治初期から現代に至るまでのどこかで、「ビールと枝豆」の組み合わせが定番化したことになる。

 テレビ番組などで取り上げられるのは、昭和30年代に冷蔵庫が普及してビールの“家飲み”が増え、さらに昭和40年代の減反政策で農家が稲作から枝豆づくりに切り替えたことで枝豆の出荷量も増え、これらが相まって「ビールに枝豆」が定番化したという話だ。

 だが、少なくとも昭和初期から「ビールに枝豆」は認知されていたことが新聞記事などからはうかがえる。

 1930(昭和5)年6月19日付の読売新聞には、「ビールやお酒の肴に気の利いた枝豆料理」との記事がある。「今日はビールやお酒の時のきのきいた枝豆のお料理を申上げませう」という挨拶から始まり、莢から出した枝豆を茹でて、莢から取り出したのを雲丹(うに)とあえる「雲丹和え」のほか、「辛子和え」や「揚げ枝豆」も紹介している。

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