当局は、中国から大量の生活用品が流入するなど市場機能が整いつつあるため、供給不足によるインフレは起こらないと見込んでいたが、その思惑は外れて物価は高騰した。庶民はタンス預金が紙くずになる前に物資に換えようと市場に殺到し、商人はこれを見て値段を釣り上げるため売り渋りをしたからだ。

 さらに、市場の統制を強化したことが住民の怒りの火に油を注いだ。配給を受けられず、食糧や生活必需品を調達できなくなれば生存さえ脅かされる庶民は、デノミショックでパニックに陥り、食糧到達の場を失うかもしれないという恐怖心から、市場の商品買い占めに走った。

 当局も庶民の不満を抑える手立ての準備はしていた。デノミ後も労働者の給与の額面を据え置き、給与の価値をデノミ前の実質100倍にしたが、コメ価格が約1カ月で100倍以上になったため、「給料100倍」はつかの間の夢に終わった。当局は市場の再開を求める不満の高まりを抑えきれず、わずか3カ月で再び市場活動を容認し、外貨の使用も許可した。いったん打ち出した当局の判断を庶民の抵抗によって覆したのは前例のないことだった。

 当局がターゲットにした新興富裕層の多くは外貨で蓄財していたため、ほとんど影響を受けなかった。一方で、デノミは庶民のタンス預金を直撃したため、庶民のウオンへの信頼は決定的に失墜した。権威主義体制下での通貨の信認失墜は、国家に対する威信喪失に直結したのだろう、その後庶民の当局に対する怒りは顕在化していったと言われている。  

 「北の貨幣が紙くずになる」という不安感が高まったため、人民元など外貨による決済の動きは一段と加速した。ロイター(2013年6月3日付)によれば、北朝鮮では、中国人民元や米ドルが自国通貨の北朝鮮ウオンよりも幅広く利用されており、実際に流通している外貨の推定額は20億ドルである(国の経済規模215億ドル)。

 デノミ実施後の社会的・経済的混乱を、張成沢が中心となって収拾に取り組んだとされているが、金正日からの権力継承開始直後の失政は、金正恩にとって大きな痛手であったことは間違いない。