米国ルイジアナ州沖のメキシコ湾で起きた深海油田事故は、1989年にアラスカ沖でタンカーが座礁した際に流出した25万バレルを大きく上回る大惨事となった。2010年4月20日の事故発生から6月末までの流出量が270万バレルを超えたという試算もあり、間違いなく米国史上最悪の原油流出事故という汚名が年表に記されるだろう。

クリントン元大統領、油井爆破の可能性に言及 米原油流出

米国史上最悪の原油流出事故〔AFPBB News

 この事故は、地球が直面する深刻な状況を浮き彫りにした。石油によって支えられている「現代文明」が崩壊に向かい始めた「シグナル」ではないか――。決して大袈裟な認識ではない。その理由を説明しよう。

 実は、人類は未だに「エネルギーをつくり出す技術」を手にしていない。我々が持っているのは、自然界から「エネルギーを取り出す技術」に過ぎない。取り出すにもエネルギーが不可欠である。少量で済むのか、逆に大量に使う必要があるのかはケースによって様々である。

 こうしたエネルギーの回収効率は、EPR(Energy Profit Ratio)あるいはEROI(Energy Return on Investment)と呼ばれる指標で示すことができる。EPRは、回収エネルギー(Eout)/投入エネルギー(Ein)という単純な割り算になる。したがって、回収エネルギーよりも投入エネルギーが多くなれば(EPRが1を下回るならば)、そのエネルギーにはもはや価値はない。

 我々が自然界からエネルギーを取り出すのは、そのエネルギーを社会で使うことが目的である。社会が使うことのできる余剰エネルギー(Enet)こそがそれぞれの時代の文明を形成する。言い換えれば、文明とはまさに余剰エネルギーのことなのだ。

 地球で生成された石油のうち、EPRから見てエネルギーとして「取り出す価値のある」量は全体で2兆バレル程度と言われる。既に我々はその半分、約1兆バレルを使ってしまった。まだまだ大量の石油が眠っているが、エネルギーとして取り出す価値があるのは残り約1兆バレルに過ぎず、しかも前半の1兆バレルに比べてはるかに採掘が困難な場所に存在する。

 これをリンゴの木に例えてみよう。下半分のリンゴは、人間が手を伸ばすだけで採ることができる。しかし、上半分のリンゴを手に入れるにはハシゴをかけたり、木に登ったりして採らなくてはならない。万一バランスを崩せば、木から落ちて大怪我をすることもある。