昨2012年7月17日午前零時、この時に向けて飯舘村長泥に通じる道に設置された管理ゲートに錠が下ろされ、以後地区住民と自警の見守り隊、全国から派遣されている警察官の警邏以外は地区内に入ることができなくなった。
しかし、このままでは長泥が忘れられてしまうと危機感を持った区長の鴫原良友(しぎはら・よしとも)さんは同年9月末より定期的に公開日を設け、長泥の現状を発信してもらおうとメディアをゲート内に受け入れている。
公開初日こそおよそ40人の報道陣が駆けつけたが、以降は数人が訪れるだけで、誰もやって来ない日もある。
久しぶりに多くのメディアが長泥に入ったのは6月の田植え(除染後の水田での試験栽培)のときだろうか。次はおそらく稲刈りのときに同様に集まるのだろう。
ときたま点的にイベントを取材するくらいで、多くのメディアにとって長泥は「時が止まった」場所なのかもしれない。
その間も地区の人は仮住まいから自宅に戻り、限られた滞在時間で家まわりのメンテナンスをしたり農地の草刈りをしたりしている。
4月には地区内の白鳥神社で例祭が執り行われた。5月には長泥自慢の桜並木の剪定と下草刈り、お盆前には共同墓地を覆っていた草がきれいに刈り取られた。
いつ戻られるのか、戻られないのであればこの先の生活再建はどうなるのか、戻ったとして農業の再開はできるのか、できないなら代わりの仕事はあるのか・・・いまだ解決の糸口さえ見えない問題を抱えながら、それでも時間は流れているし、その時間の中で生きることを強いられた人たちは確かにそこにいる。
(撮影:筆者)