この秋行うR・ヴァーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の小さな連続上演関連でお話ししています。

 東京アート・オペラのホームページができましたのでリンクを張っておきましょう。連休明けの9月17日に制作発表の記者会見などを行いますが、少し先立って背景の一般的な話題をご紹介したいと思います。

 古典と現代の音楽の音楽の間の結節点となったとしばしば言われるのが「トリスタンとイゾルデ」という作品です。さてしかし、それはどういうことか。

 例えば、この作品は音楽の世界で「トリスタン和声」などと言われる特徴的なハーモニーの進行があります。またしばしば「調性」が不明確な音楽、いわば「無調」の響きが聴かれます。

 古典的な西欧音楽は「ハ長調」とか「ニ短調」とかいった調性・・・これはギターのコードネームなんかで言った方が一般には通じやすいですね。

 Fメジャーとかcマイナーなどという「調性」をもって作曲されていますが「トリスタン」ではそれが不明確な展開がしばしば起きます。

「トリスタン」の革新性

 ここからハーモニーについては「トリスタン」の革新性がしばしば語られるわけですが、それと並んで徹底して革新的な労作が、少なく見積もってもあと3つ程度、この作品を通じて実現されています。

 1つは、これもまたしばしば言及されることですが、オペラの歌詞と音楽内容の双方を1人の作家が書き下ろし、1つの統一的な構造を持った「総合舞台芸術」という新しい表現形態を作っていることで、ヴァーグナーのオペラは歌劇とは呼ばれず、英語風に言えばミュージックドラマ、ドイツ語原語ではMusikdrama(楽劇)と呼ばれる独自のものになっています。

 こういう、言葉が関わるものは、間口が広いので、様々な研究者や評論家なども多く言及しており、ご存じの方も少なくないと思います。

 実際、この作品はヴァーグナーの30代半ばから50代にかけての、いわば不遇の流浪時代、徹底して基礎的な考察から準備され、全く新しく劇詩も書き下ろされ、作曲にもあらゆる細部に工夫と彫琢が行き届いたもので、見る人が見ればほぼ毎ページに驚かされる内容が記されています。

 ヴァーグナーが生まれた頃はまだベートーベンやシューベルトが現役で活躍していた、そうした古色蒼然たる古典の世界を、今現在ポップスで耳にする程度の平凡な音楽構造など足元にも寄せつけない、一切値引きのないリアルな「現代の」表現にまで、1代にして変えてしまった傑物。