非常に久しぶりにオペラを指揮することになりました。いずれきちんとした告知が出ると思いますが11月16日、30日、12月1日の3日間、リヒャルト・ヴァーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を演奏します。

 と言っても、大がかりな商業上演ではなく、11月16日は港区芝公園・聖アンデレ教会のチャリティオペラ、30日と12月1日は慶応義塾大学でのオペラ全曲上演シンポジウムという、これはこれで歴史にも世界にも類例のないものではあるのですが、いずれにせよ小さな規模のものであります。

 今回は、その「小さなオペラ」の背景にある、そんなに小さくもなく、またかなり息の長い準備の取り組みについて、お話ししたいと思います。

爆破できなかったオペラ劇場

「オペラ」とはそもそも「仕事」の意。実際に膨大な仕事の山でもあります

 正直なところ、私が子供だった昭和40年代の日本では、オペラというものは全く日常的な存在ではありませんでした。

 早くから音楽を自覚的に始めていた私でしたが、10代の間に意識して向き合ったオペラはアルバン・ベルクの「ヴォツェック」だけ。同じ作曲家の遺作オペラ「ルル」3幕全曲版が中学3年のときパリで初演され、そのレコードが出て手に入れたときの興奮などを覚えています。

 しかし、高校を卒業するまで古典的なオペラとはほとんど縁がありませんでした。

 のちに私もスイスのアカデミーで師事することになる作曲家・指揮者のピエール・ブーレーズは、若いころ「オペラ劇場を爆破せよ」という先鋭的なスローガンを掲げていました。退嬰的なオペラの世界に決然と別れを告げ、それを「爆破」して音楽の未来に進むこと・・・。

 そんなイメージだけ持っていた10代の私でしたが、爆破しようにも当時の日本にはオペラ劇場などというものは存在すらしていなかった。今は昔の物語です。

 状況が一変したのは最初にドイツ留学した18歳の夏のことです。ライオンズクラブの給費交換留学生という形で当時の西ドイツに渡った私は、ホームステイ先のホストファミリーの尽力で、ドイツ到着早々、その年の夏の「バイロイト祝祭」を見ることができたのです。

 せっかくドイツに行くならバイロイトでヴァーグナーが見たい・・・とは、頭では思っていました。