しかし、実際には現地は、すでに最悪の状況にある。8月21日に化学兵器によって殺害されたのは千数百人とみられるが、これまですでに10万人が死亡している。このうち、戦死した双方の戦闘員を除けば、そのほとんどは政府軍による市街地・住宅地への無差別な空爆や砲撃によって死亡した一般市民である。
アサド政権というのは、独裁体制の存続のためなら、戦闘機で自国民を空爆する政権である。シリアで進行してきたことは、もうずっと前から、アサド政権による住民のジェノサイド(大量殺戮)だ。化学兵器使用はその一局面にすぎない。
反政府軍に参加している人も、参加していない人も、「とにかく誰でもいいから政府軍の暴虐を止めてほしい」と願っている。これまで2年半もの間、シリアの人々は、国際社会が自分たちを助けてくれるのではないかと期待し続け、それがことごとく裏切られ続けてきたことに絶望してきた。
今回、初めてアメリカが軍事介入に動いたことで、不安ながらも、初めてわずかな望みが見えてきたと感じているシリア人は多い。そうした現地の悲鳴のような思いが、日本ではなかなか理解されない。
少なくとも政府軍による空爆や砲撃に日常的に晒され、肉親や友人を殺害され続けている側のシリア国民にとって、外国軍の軍事介入こそが望みの綱だ。彼らにすれば、別に米軍でなくても構わない。どこの国でもいいから助けてほしいのだ。
アサド政権の同盟者であるロシアの拒否権により、国連安保理が機能を停止しているから、米軍などによる軍事介入は確かに国際法の裏付けがない。しかし、そんなことは、日々殺され続けている人々にとっては関係ない。
仮にここでアメリカが手を引けば、アサド政権は「何をやっても、結局はアメリカは手を出せない」と判断し、それこそ無制限に化学兵器を乱用し、無差別砲撃や空爆をさらに拡大するだろう。外国軍が軍事介入しないとなれば、さらなる大虐殺が行われることになるのだ。「アメリカが勝手に他国を攻撃していいのか?」という見方には、こうした現地事情への視点が欠けている。
かつてベトナムがカンボジアに侵攻したことで、同国の国民はポルポト派の大虐殺から救われた。ルワンダでは、ウガンダがツチ族ゲリラを支援したことで、フツ族民兵による大虐殺にストップをかけることができた。誰でもいいのだ。とにかく進行中の虐殺を止めることが、最も重要なことなのではないか。