暑い盛り。辛いものを食べて暑さを吹き飛ばしたいと願う人もいるだろう。それをかなえてくれる食材が、唐辛子だ。

 赤く熟した実は見るからに辛い。実際に口にしてみると、やっぱり辛い。そして、食べているときは苦痛さえ覚える。ところが、しばらく経つとまたあの辛さが恋しくなる。唐辛子はかくも魅力的な食材だ。

 いまや世界中で育てられ食べられている唐辛子。真っ赤に染まったキムチ、チゲを食べる韓国や、口がヒリヒリするほど辛みの利いた麻婆豆腐を食べる中国南部と比べ、日本で唐辛子はさほど好まれないと言われる。だが、日本人には日本人としての唐辛子との長いつきあいがあったのもまた事実だ。そこからは、辛さの日本的な受け入れ方も見えてくる。

 今回は唐辛子をテーマに、日本における歴史と現代科学を追ってみることにしたい。前篇では、“辛さの日本的な受け入れ方”を探るべく、日本人と唐辛子とつきあいの歴史を追っていく。後篇では、唐辛子をめぐる科学研究の現状を、信州大学大学院農学研究科でトウガラシ研究を行っている松島憲一准教授に聞くことにしよう。

伝来から150年で豊富な種類に

 日本にどのように唐辛子が入ってきたのか。その決め手となる記録は見つかっていない。ただし16世紀の室町時代から17世紀の江戸時代初期の間に日本に入ってきたとされ、主に3つの説がある。

 1つめは、1542(天文11)年、ポルトガル人によって南瓜が豊後国(いまの大分県)に持ち込まれた際、一緒に唐辛子も持ち込まれたという説。2つめは、豊臣秀吉(1536~1598)が1592(文禄元)年と1597(慶長2)年に朝鮮出兵した際、持ち帰ったという説。これには秀吉側が朝鮮半島に唐辛子をもたらしたという説もある。そして、3つめは、1605(慶長10)年、南蛮人により煙草が入ってきたのと同じくして入ってきたという説だ。

 明確な“第一歩”が分からないのは残念ではある。しかし、むしろ、その後の日本での唐辛子の普及が早かった方に注目したい。

 主に東海地方の農業について書かれた『百姓伝記』という書物が天和年間(1681~1684)に世に出た。そこに唐辛子の記述がこうある。

 <赤くほそく身なるうちに大小あり、またみぢかく赤きに、なりの色々かわりたるものあり、赤きうちにとつとおおきなるものあり、また黄色なるうちに大小あり、下へさがりてなるものあり、そらへむきてなるものあり>