先代が初めて「経営」を持ち込んだ
──のとやも“放漫経営”の時代があったのですか。
桂木 先々代の頃まではそうでした。館主は経営者というよりも“旦那さん”だったんですよ。現場は番頭さんが仕切っていて、館主は稼いだお金の中でやり繰りするだけです。そこに「経営」という考え方はありませんでした。
のとやに初めて経営を持ち込んだのは先代、つまり私の父親です。父は松下電器産業(現パナソニック)で10年ほどデザイナーとして働き、昭和40年頃に旅館に戻ってきました。松下で働いていた父から見ると、旅館は各所に無駄があるように見えたんですね。
例えばそれまで部屋の壁は漆喰塗りの本壁が使われていました。旅館同士で、どれだけ立派な壁や柱をつくれるかを競い合っていたんです。そういう時代でした。
しかし、立派な壁をつくってしまうと、汚れてもなかなか変えられません。そこで父は漆喰をやめてクロス張りにしたんです。豪華さを自慢するよりも、費用対効果が高く手入れがしやすいものにしよう、という考えです。父は「旅館でクロスの壁を使ったのは、のとやが日本で最初だ」とよく言っていました。
──確かにクロス張りなら費用が安いし張り換えも簡単なので、常にきれいな状態にできます。他にどんな改革がありましたか。
桂木 お客様が部屋まで靴を履いたまま行けるようにしました。それまで旅館というのは玄関で靴を脱ぐものでした。それを父は部屋まで靴で行ってもらえるようにしたんです。
それには2つの効果があります。まず下足番が不要になりますので人件費の削減になります。また、お客様同士の靴の取り違いがなくなります。部屋まで靴で行くようにすると、日本旅館の雰囲気は確かに薄れます。しかし、それよりも人件費の削減やお客様にとっての利便性を優先したということです。
──旅館にコスト感覚と合理的なサービスを持ち込んだ。
桂木 そうですね。当時はずいぶん画期的なことだったようです。
このまま下請けのままでいたら生き延びられない
──先代は松下電器から旅館に戻ってきたわけですが、社長も最初は別の会社に就職したのですか。
桂木 はい、大学を出て東京で食品会社に就職し、3年ほどで戻ってきました。その頃はバブル全盛でした。お客様は多いし、毎日のように宴会が行われていました。旅館というのはこんなに儲かるのかと思いましたね。