経営力がまぶしい日本の市町村50選(14)

 世間は富士山の世界遺産登録で盛り上がっているが、1995年に同じく世界遺産(文化遺産)に登録された白川村(白川郷・五箇山の合掌造り集落)は今でこそ有名だが、それまでは知る人ぞ知る地域であった。

 江戸中期に完成したと言われる合掌造りの白川郷は、主に火薬づくりや木材、生糸の生産などで生計をたてる、家内制手工業と林業が中心の非常に貧しい村であった。

かつては貧しい村だった白川郷、世界遺産への道

昭和初期に白川村を訪れた建築家のブルーノ・タウトが高く評価した合掌造りの家(ウィキペディアより)

 岐阜県大野郡にある人口約1700人(2013年4月1日現在)の小さな村に転機が訪れるは80年近く前の1935年にさかのぼる。

 世界的に著名な建築学者でもあるブルーノ・タウトが白川郷を訪れ合掌造りの論理性や合理性に感動し、著書『日本美の再発見』の中で高く評価することで世界中に知れ渡るようになるのである。

 また、1971年には「白川郷荻町集落の自然環境を守る会」が結成され、合掌造り家屋の保存のため「売らない、貸さない、こわさない」という「三ない」住民憲章を制定し、景観を含めた環境保全に努めた。

 その取り組みが実を結び、荻町は1976年に「重要伝統的建造物群保存地区」に制定されることとなる。それを機に地元の住民を中心に世界遺産指定のために世界中へ呼びかけ、維持費などにかかる資金5億~6億円を集めるに至る。

 ここで注目すべきは、上記の保存地区に制定されるにあたり、通常は火災による損傷などを防ぐため、立ち退きを余儀なくされるのだが、白川郷は稀有なケースで、住民が普通に住む保存地区であるという点である。

 もちろん居住を可能にしているのには、それなりの理由がある。

 1つは、白川村では、以前から中学生を含めた一般住民を毎年英国のナショナルトラスト(歴史的建築物の保護を推進する団体)へ派遣していたため、居住しながらも保存できることを住民が知っていたことである。

 2つ目は、1日3回も村中で“火事注意”を呼び掛けていることである。これらの背景や努力があり、生活感ただよう珍しい保存地区が成り立ち、1995年の世界遺産登録へつながるのである。