司馬遼太郎の「この国のかたち」の中に鉄についての考察がある。人類の歴史における鉄の果たした役割が非常に分かりやすく描かれている。この中で特に興味深いのは、大陸から製鉄技術がもたらされた後、日本が鉄製品の一大生産地になっていく理由である。
日本の気候が製鉄業を発展させた
四方を海で囲まれた温帯モンスーン地域にある日本では、木々の生育が極めて早いというのがその理由だという。
高炉が発明される以前の製鉄には、鉄を精錬するために山ひとつを丸ごと裸にするほどの木材が必要だった。鉄を溶かすために燃やすのである。
鉄は戦争用の道具として、また農耕用の道具として需要が非常に高かったから、日本に製鉄を伝えた朝鮮半島では禿山だらけになったという。そして鉄の生産にも支障をきたした。
ところが、日本の場合は違った。湿潤な気候のおかげで、禿山になった後にちゃんと植林しさえすれば30年で木々が茂る元の山に戻った。実際に植林もした。
その結果、日本では環境破壊をもたらさずに鉄の恩恵にあずかることができた。それは、その後の日本の歴史を決定づける大きな要因になったと司馬は言う。
世界にもまれな豊かな森に育まれて、いまの私たち日本人はいるのである。アジアで唯一の先進国になった日本の原点の1つとも言える。
しかし、戦後の高度成長の過程でこのことをしばらく忘れてしまっていたようだ。
資源がないから輸入して付加価値をつけて輸出する――。そういう国づくりばかりに目を奪われて、日本にある大切な資源をないがしろにしてしまっていた。
例えば、以前に紹介した木製サッシ。最近、大手のアルミサッシメーカーが自虐的なテレビコマーシャルを流しているのをご存知だろうか。窓の断熱効果を高めていったら、実はアルミサッシが問題でしたというのである。