実は日本だけ?「餃子と言えば“焼き餃子”」

今はなき渋谷の名店が確立した餃子の食スタイルとは

2012.09.14(Fri)澁川 祐子

ご飯のおかずとして進化した焼き餃子

 戦前、戦後にかけて活躍したコメディアン古川緑波の『ロッパの悲食記』(初版は1983年、六興出版)には、以下のように記されている。

 <戦後はじめて、東京に出来た店にギョーザ屋がある。(中略)ギョーザ屋とは、餃子(正しくは、鍋貼餃子)を食わせる店。(中略)僕の知っている範囲では、渋谷の有楽という、バラック建の小さな店が、一番早い>

 「有楽」は、渋谷の中心街だった百軒店に1948(昭和23)年に開店した店である。旧満州の大連から中国人の妻を伴って引き揚げてきた高橋通博は、満州で食べた餃子を再現して売り始めた。1952(昭和27)年、店は「珉珉羊肉館(ミンミンヤンローカン)」と名前を変え、渋谷の恋文横丁に店を構える。小学館発行の雑誌『サライ』1999年9月16日号に掲載された、「珉珉羊肉館」の当時の店主で通博夫人の高橋美枝子へのインタビューをもとにした記事には以下のように書かれている。

 <ジンギスカンなど羊肉料理のほか、水餃子と焼餃子を出したら、この焼餃子が当たった。惣菜としてご飯に合い、酒の肴としても受けたのだ>

 先述したように、中国北部では小麦が主食である。だから、餃子とご飯は一緒に食べない。餃子自体が、一品で炭水化物も肉も野菜も摂れる完結した料理である。そのため、皮は分厚く、食べ応えのあるものが多い。また、油を使った焼き餃子が一般的でないのも、水餃子や蒸し餃子の方が一度に10個、20個と数をたくさん食べられるからだ。

 一方、日本の主食は米である。米に合うおかずとしては、油の香ばしさが加わった焼き餃子の方がより適していると言えるだろう。つまり、焼き餃子は、ご飯に合うおかずとして、日本人に受け入れられたのである。

 中国では、具材にニラは用いるが、ニンニクは使わない。また、タレは酢醤油だけで、日本のようにラー油を足さない。こうした日本独自の工夫はすべて、「いかにご飯が進むか」をモノサシに、より食欲をそそるものとして進化していった結果と言えよう。

 「珉珉羊肉館」の焼き餃子は、空腹の時代に手頃でボリュームのある料理としてまたたくまに人気となった。同じ満州引き揚げ者がこれに倣ってこぞって店を出し、恋文横丁は焼き餃子のメッカとなる。

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