『週刊文春』に掲載された小沢一郎夫人の和子による「離縁状」を読んだとき、「やっぱり」と合点がいった。未曾有の3.11震災が発生したとき、岩手選出の小沢がどう動くのか、誰もが注目したはずだ。私もそうだった。だが一向に地元に入ったというニュースが飛び込んでこない。「故郷が塗炭の苦しみにあるとき、小沢は何をしているのか」、不思議でならなかった。
和子の「離縁状」によれば、放射能が怖くて逃げていたという。小沢に近い民主党議員のブログを見ると、「放射能が怖くて逃げた」というのはデマだとか、わざわざ別の和子の筆跡と『週刊文春』の「離縁状」の筆跡を掲載して、「離縁状」の筆跡は和子のものではない、と述べているものもある。
筆跡が真筆かどうかなど、はっきり言ってどうでもよいことだ。問題は中身だ。ただ小沢や和子と非常に緊密な関係にあり、中選挙区時代の小沢の選挙地盤を引き継いだ黄川田徹衆議院議員は、「離縁状」は和子の筆跡だと断定している。黄川田議員は、震災で夫人、長男、義父母の4人の身内を亡くしている。その見舞いにもらった和子の手紙と同じ筆跡だったからだ。もちろん誰かが代書したかもしれない。代書でも和子の手紙であることには間違いない。筆跡鑑定など無意味ということだ。
なぜ被災地の復旧・復興に政治生命を懸けないのか
実際、こんなことがあった。震災から数日後だったと思う。埼玉県の川越市に住んでいる私に、民主党の関係者から、「筆坂さん、関西方面に逃げた方がいいですよ。放射能汚染が東京方面にも拡大しています。みんな逃げていますよ。私もしばらく関西方面に行きます。ある人は九州に行くと言っています」という趣旨の話がもたらされたのだ。怒り心頭に発した。
小沢がどうだったのかは、知らない。だが10カ月間も被災地に入らなかったのは事実だ。黄川田が指摘するように、被災地やその復旧・復興に関して小沢が何かを語ったことを聞いたことがない。和子の指摘をさもありなん、と思うのが普通である。
福島第一原発の事故は、国会事故調査委員会が指摘するように、いまも「終わっていない」。大量の放射能を含んだがれきや焼却灰の処理もめどが立っていない。復旧も復興も緒に就いたばかりである。だが、小沢がやってきたことは、菅降ろしや消費税増税にかこつけて民主党を離党し、政局の主導権を握ろうとすることだけであった。もはや呆れるほかない。